ぬくめる

日記です

バイト奮闘記

スーパーのレジバイトを辞めて、9月末からパン屋の販売バイトを始めた。11月下旬に新店舗がオープンし、そこのオープニングスタッフとして働く。9月末から11月上旬までは、系列店舗で研修させてもらった。

ケーキ屋さん、お花屋さん、和菓子屋さん、など、「さん付け」で呼ばれるところで働くのに憧れる。バイト何してんの?と訊かれて、「パン屋さんです」と答えるときのすこしのドヤ感。(いま気づいたけど、誰かに話すときだけ可愛こぶって「パン屋さん」って言ってしまう)

パン屋といえば『魔女の宅急便』で、バイトが辛くても、13歳で一人立ちし頑張っているキキを思えば、なんだってできると思っていた。あのポスターのキキのように、物思いにふけた顔をして店番をし「おちこんだりもしたけれど、 私はげんきです」って心のなかで唱えたかった。

軽率だった。老舗の店だからか、教育が行き届いていて、バリバリ体育会系だった。キキの働くパン屋も立派な佇まいなので、もしかしたらキキもそうなのかもしれない。お客さんは滞りなく来店し、パンを袋に入れることに追われていた。キキ気分に浸る余裕はなく、心のなかは「パン落とすな」「パン崩すな」「やべえ」「パンがスベる」「やるしかねえ」だった。

店長は程よく厳しく、程よくいい加減な人で、接しやすかった。どの従業員ともフランクに話している。ユーモアをこれ見よがしに押し付けてくることがあるが、嫌ではなかった。

明るく良い人ばかり働いていた。びっくりした。チームワークを大切に、そのために人間関係を円滑に。みんなフォローしたりお礼を欠かさず伝える。「良い人ばかりですね…」と言ったら「変な人は辞めていくなぁ」と返ってきた。ここではみんなが真面目に働いていたから居心地がよかったけれど、こわくなった。自分は変な人側な気がするから。仕事をしにきているけど、人間関係にも気を配らないといけない。雑談はやっぱり苦手だ。

 

1ヶ月半の研修を終えて、いよいよ新店舗で働く。バイト経験があるからか、研修のときもそこまで緊張しなかった。過去のわたし、ナイス!

オープン2日目に、新店舗初出勤。たくさんのお客さんが来た。社長も店にいて、お店を活気づけている。その社長がですよ、男性のね、ええ、なんかちょいチャラいんですよね、40代くらいのね、その人、もう一人の女性の従業員にデレデレなんですよね、肩ポンポンとか頭ポンとか手の甲でその女性の頬をスリっとするんですよね、ありえねえ!わたしはぜんぜんされなかったけどね、されても微塵もデレないと決めてるけどね、でもきっとされたら笑ってやり過ごすんだろうな。

そんなモヤモヤを抱えつつ仕事し、初めてのことに慌てたりミスったりして、バイトが終わったときは、心ここにあらず、な感じだった。外は顔がうっすら見えるくらいに暗くなっていたから、疲れ切った顔で、だらーんとして歩いた。仕事は反省ばかりで、取ったメモを整理したのを書く用の小さいリングノートを買おうと、ロフトへ寄った。

うお、くっそー!クリスマス!気が早えよ!視界にチラチラと赤と緑。ロフトの便箋コーナーにはクリスマスカードがあって、だれかに贈りたいなぁと思いつつ、それくらいのお金しかないな、と悲しくなった。だれかにお菓子いっぱい入ったどでかい赤い長靴プレゼントしたいよ。ロフトのレジは長蛇の列で、だれもこんなどこでも買えるノートをひとつ持って並んでないよな、とか思って、ばかばかしくなって帰った。

新店舗でのアウェー感にうろたえている。ここにいる自分が嫌だ。嫌なのに笑って流すとか、面白くなくても無理して笑うとか、リアクション大きくするとか、相手に都合のいい嘘をついてご機嫌とったりしてしまう自分が嫌だ。心にもないことを言わないでいたい。でも、円滑にコミュニケーションをおこなうことが目的だから。

そういえば「YOUは何しに日本へ?」で、トルコ人の男性が岸和田だんじりに参加しに日本へ来た回で、トルコ人ドーアンさんが岸和田のお兄さん方に挨拶するも無視を決め込まれるなか、お兄さん方に認められたいと、トルコの伝統的なお酒で交流を図ったりして頑張る姿を見て、ここで働かせてもらうのだから、尊重し歩み寄る姿勢を見せた方が良いのではないかと、思ったのだった。

子供だって立派に媚びるし気を遣う。それがいけないことだと思ってきたけど、大人になったらそれをしないといけないときがあるようだ。でも、媚びと気遣いの違いに気をつけよう。

「ヘルプで入ってほしい」と言ってもらえて、研修していた店の方でも働くことになった。案外うまくやれていたのかもしれない。でもそれは偽りのわたし…そんなに明るくない…けど仕事を評価されているのよ。がんばったからね、よかったね、わたし!

すみっこ文化祭

「文化祭まであと0日」と書かれた大きな貼り紙が、二階の渡り廊下の窓に貼られていた。机を運んだりと設営をする人たち。クラスの出し物の準備に参加しないといけないのに、わたしは講堂の前で突っ立っていた。仕事を放棄することに理由が欲しくて、本を読んだ。黙々と読んだ。ヤンキーが顔を覗き込んできても、前に人が通っても、本を読んだ。

クラスの出し物は何なのか分からない。毎週水曜日にHRがあって、後期からは文化祭の取り組みをしていたのだけど、水曜日を必ず休んでしまっていた。なのになぜ来たのか。演劇部の文化祭公演の手伝いがあるからだ。朝のリハーサルを終えて、公演場所の講堂からは出ないといけなくなって、どうしようもなくて、とりあえず本を開いた。

飲食の出し物をすることは知っている。今頃クラスの人たちは食堂で準備をしているだろう。わたしは何をしているんだ。「いままで休んでいた身で申し訳ないんですけど、お手伝いさせてください」と言うんだ。言いに行け!と奮い立たせるも、どうしても行けなかった。

出席もつかないだろう。それはもういい。演劇部の公演がなかったら、きっと文化祭には参加していなかっただろう。当日だけノコノコやってきて、特別活動時間を稼ぐだなんて、そんなことできない。これは自分への罰だ。都合のいい罰だ。担任の先生は気にせず迎え入れてくれるだろうに。ただわたしは、自分の身を晒すことが、自分を認識されることが、怖かった。一瞬でも冷ややかな目を向けられることが怖かった。

迷いに迷って結局なにもしないとか、ごにょごにょしてなにも伝わらず終わるだとか、そんなことが多すぎる。いまもそうで、参加しないと決めたのに、開き直ることもできず、冷や汗を垂らして本を読んでいる。

どうすればいいのか、よかったのか、ほんとうに分からない。いや、分からないフリをしている。

前の高校での勉強合宿で、夜ご飯にBBQをしたときも、どう振る舞えば良いか分からず、隅に突っ立って水を飲んでいた。優しいクラスメイトにお肉をもらい、食べた。その肉が喉につまり、咳き込むことも呻くことも助けを求めることもできず、ひとりで死を覚悟した。

幼稚園のお遊戯会でダンスをしたとき、自由に踊るタイムで棒立ちだった。何かしたほうが良いのは分かっていたが、棒立ちだった。迷いに迷うがタイムリミットが来て頭が真っ白になり、真顔で棒立ちになる。小学三年生の運動会のダンスでも、最後の自分で考える決めポーズが、ひとりだけ棒立ちだった。どうしたらいいか分からなかった。

いまも、棒立ちだ。なにしてんだ。部活に入ったりバイトをしはじめてから、「しなくていいのか、したほうがいいのか分からず、結局なにもしない」のはやめた方が良いと学んだ。けど、けどさ…

こんなときは幽霊になりたくなる。自分はいま幽霊だと思い込む。優しい人にだけ見えていればいい。厚かましい幽霊だ。助けを求めていやがる。こんなこと卒業しようと思っていたけれど、またやってしまった。

前の担任の先生が「○○さん、クラスの準備いかないんですか?」と声をかけてくれた。わたしは辿々しさと申し訳なさを演出しながら訳を話す。先生が「開会式で出席を取るから、後ろの方でもいいから行ってみたら?」と優しく返してくれた。

こうして声を掛けられる気はしていた。待っていた部分もある。でも、はじめから行かないと決めていた。自分の中で文化祭はなかったことになっている。演劇部の文化祭公演にだけ参加する。そのためだけに来た。

もう18歳で、こんな優しさを受けてはいけないのは分かっているし、未熟なのも分かっていて、いいかげん卒業しないといけないのだが、卒業するには、恥を晒すしかない。こんなプライド捨てちまえ!

なんだこのプライド。わたしは上手くできないし喋れないしオドオドしてて気持ち悪いけど、完璧でいたいから、完璧な理想像があるから、恥を晒したり失敗したくなくて、なにもしない行動をとるのだ。学校へ行けないのも、このプライドが関係しているように思う。優しさを自分の心を満たすためだけに受け取り、しないといけないことを放棄する。

「開会式なので体育館に集まってください」のアナウンスをなかったことにした。隠れるようにして座り込んだ。この時間に意味が欲しくて、こんどはイヤホンを耳にさして、ラジオを聴いた。

開会式が終わり、演劇部の方々が講堂前にやってきた。担任の先生もやってきた。「気にしないでいいのに。午後から店番あるから来てくれたら助かる」と言ってくれた。惨めで仕方がなかった。惨めだったけど、すこし嬉しさがあって、こうなったら嬉しさを完全に無くさねばと思った。学校にちゃんと行っていたら、毎日行っていたら。

公演が終わってからは、クラスの出し物の受付をやった。都合いいなおい。クラスの出し物は「焼きおにぎり茶漬け」だった。用意周到で、とても申し訳なかった。

申し訳ないと思っとけば許されるなんて思うな。恥を晒して生きていけ。もう卒業するんだ。

すぐに完売し、仕事は終わった。することがなくなって、どうすればいいか分からなくなって、校舎の隅で本を読んだ。閉会式に出て、家へ帰って、泣いた。

オサムグッズの永遠と

自転車で駅へ向かう。わたしやるじゃん。でも電車に間に合わないかもしれない。

坂を下っていると、うしろでカランカランと音がした。なにか落ちたな、嫌な予感。片手でリュックのチャックを触ると、ない。アクリルキーホルダーが、ない。

もう、いいや。自転車は漕がなくても進んでいく。電車があるし、もう、いいや。憧れだったオサムグッズのアクリルキーホルダー。最近買ったばかりだった。可愛い金髪の女の子のキーホルダー。

電車のホームに駆け込むと、目の前で発車。間に合わなかった。そんなことならキーホルダー… リュックのチャックを触る。やっぱりない。

心のダメージは少なかった。つぎの電車でも間に合うし。1時間目から出席できることのしあわせ。

流れる景色をみる。日の光やみどりの色が夏より目に優しくて、秋だなぁとしみじみした。

1・2限は古典で、3・4限は現代文。国語づくしの時間割だ。現代文の授業は、演劇で知り合った同い年の友だちも同じだった。

その友だちとお昼を一緒に食べた。演劇のこととか、いままでの学校生活の話をした。

そのあと、併修している通信の授業を受けに、教室へ向かった。なかなか会えなかったひとに会えた。「前の高校で同じクラスで同じ部活だった友だち。時期はズレたけれど、わたしとその友だちは、同じ定時制高校に転入した。また同じ教室で授業を受けられるのが、懐かしくてうれしかった。

日本史の授業はとても面白かった。いつのまにか姿勢が前のめりになって、聞くことに必死になった。授業を休んでいた私、大馬鹿者ですよ。(通信の授業なので、年間4回のスクーリングで単位が取れる。あとはレポートを提出するのみ)

お母さんお父さん本当にごめんなさい。学校はちゃんと行かなくちゃ。バイトのお給料で、すこしは学費を払おう。

安心して通える学校だ。わたしはこの学校が好きだ。だけど、なぜか休んでしまう。

学校に行けたら勝ち、行けなかったら負け、など思わないようになりたい。学校に行けた行けなかったで、自分の価値を変えてしまうのを食い止めたい。

家への帰り道、小学校の下校時間と合わさった。慎重に自転車を漕ぐ。替え歌で笑っているふたり組の男の子がいて、懐かしくなった。

行き道でさよならしてしまった、アクリルキーホルダーを思い出す。あのキーホルダー、だれかの宝物になってくれないだろうか。

小さい頃、下ばかり向いて歩くこどもだった。だれかのキーホルダーを、見つけたことがあったな。道路の溝に落ちていた、ねこのマスコットキーホルダー。毛羽立ってゴワゴワしてすこし汚れていた。どこのお店にも売っていない、特別なキーホルダーだった。わたしのものにしたかったけれど、葛藤のすえ、原っぱへ隠した。そういえば、姉は宝物箱のなかに、拾ったマスコットキーホルダーを入れていた。それもねこだった。ミャーちゃん。

オサムグッズは時代を超えて愛されているから、きっと一目惚れするひとがいるはず。あぁ、だれか持って帰ってくれ、訳もわからず心を奪われてくれ。

家についた。マームとジプシーの『cocoon』をみた。なんどもなんどもみてしまう。経験していないことに手を伸ばし想像して考えつづける姿勢が、かっこいい。日本史の授業では第一次世界大戦のことを習った。もっと詳しく知りたい。

19時ごろ、母が帰ってきた。晩ご飯の料理を手伝った。家事を母に任せっきりなので、手伝う習慣をつけたい。いざ手伝うとなると、恥ずかしくなるから、習慣をつけろ!

いま ひらめいたのだけれど、習慣になったやさしさは、尊い気がする。迷いはなく、恥ずかしさもなく、利益を考える間もなく行動にでる。それって本当にやさしくて、それができる人が、やさしい人なのでは。やさしさには種類があるから、それだけではないだろうけど!

夜ごはんを食べながら、母にキーホルダーの話をした。母が「じゃあ、探してみよっか」と言ったので、ふたりで散歩がてら捜索することになった。

母と歩くのが、久しぶりに感じた。いっしょに買い物へ行くこともなくなった。いま書いていて、すこし寂しくなった。こうやって一緒に暮らして話をするのも、いまのうちだけだ。

前に、ふたりの影がながーくうつる。懐かしい。きょうは懐かしいことばかりだ。

スマホのライトを使って捜索したが、アクリルキーホルダーは見当たらなかった。母は、どうやってスマホの懐中電灯機能を使うのか分からなかった。

母が「ありゃまー」とか言うので、キーホルダーが見つからなかったことにすこし悲しくなった。「ここらへん小学生が通るから、だれかが持って帰ったのかもね」と母が言った。誰でも考えることなのかもしれないけれど、わたしたち親子だな、とおもった。セブイレに立ち寄って、アイスを買って、コンビニ袋をカサカサいわせながら、帰った。母が駐車場付近でアライグマをみたことや、ダイエットしなきゃとおもっていることを話した。お父さんとお母さん、お姉ちゃんたちに、長生きしてほしくなった。こんな話をもっといっぱいしたい。

9月16日

寝坊をしてしまって、朝からおばあちゃん家にいる予定だったのに、午後4時におばあちゃん家に到着予定になってしまった。まぁ、朝から行くとは連絡してないからいいか。おじいちゃんに「今から行く」と電話をして、出発。

おばあちゃん家へ向かう道のりは、特別だ。おばあちゃん方面へ向かう電車、窓から見える景色、乗車する人々。

他の電車と違って、この電車では周りの目が気にならない。乗車する人すべてが優しい人にみえる。座席は自分の特等席のように感じる。

降りた駅の改札口で、おばあちゃんが待っている。嬉しそうに笑って、手を広げて、抱きしめてくれる。外国の映画でよく見るシーンを、わたしたちは自然にこなすことができる。

おじいちゃんは車の運転席で待っている。後ろの席におばあちゃんとわたしで座る。おばあちゃんの肩に頭を乗せると、わたしの頭におばあちゃんが頭を乗せる。どんなときでも乗せてくれて、おばあちゃんといるとき、自分の前世は猫だったんじゃないかと、よく思う。

家は二階建てで、ちょっとボロくて、トタン屋根は茶色に錆びている。

玄関に入ると、靴棚の上に、小さい信楽焼の狸がいた。おじいちゃんが旅行先で買ってきたらしい。狸をじっと見ると、おじいちゃんが「それええやろ」と言って、狸の目線をドアの方に調節し、いい感じになったら、狸の頭をポンと叩いた。

お仏壇に手を合わせて、ちょっとしたら、晩ご飯の買い出しに行く。おじいちゃんの車でスーパーに行く。運転がすこし心配になってしまう。キョロキョロしつつ、悟られないよう隠す。

スーパーに着いた。わたしはカートを押す係だ。おばあちゃんに「すき焼き風に焼いたやつがいい? 胡椒のほうにする?」と訊かれた。どうやら今日の晩ご飯は、わたしが好きな野菜炒めらしい。わたしは「すき焼き風が良い」と答えた。

そしたらおじいちゃんが「たまごあるか?」「肉は違う店でみよか」と言うので、嫌な予感がした。本物のすき焼きと話がすり替わっている。

すき焼きなんて!そんな!昨日、姉と父がおばあちゃん家でご馳走を食べたばかりなのに。よし、とんかつにしよう。「やっぱりトンカツが食べたい」

おじいちゃんは職人のような目で、魚やら肉やらとにらめっこする。おばあちゃんとわたしは、お買い得商品を手に取る。おじいちゃんは「そんなんはあかんわ」と、別の高級のほうを勧めてくる。おばあちゃんは「こっちのとそんか変わらんよ」とキッパリ言う。おじいちゃんは「そうか」と口をつぐむ。主婦強し。

次の日の昼ご飯は、エビフライにした。揚げ物続きになるが、まあ食べれるでしょ!

おばあちゃん家のキッチン。ジブリに出てきそうなキッチン。

トンカツの予定だったが、おばあちゃんに「エビフライにしやん?」と言われたので、エビフライにした。トンカツもエビフライも大好き。

おばあちゃんは料理上手だ。よくわたしに「見てるだけでも勉強になるよ」と言う。手伝ったらアドバイスをくれる。

海老の殻をむいて、爪楊枝で背わたをとる。おばあちゃんは器用にとるけど、わたしは身をほじくるだけだった。それから身に斜めに切れ込みを入れる。こうすると海老が真っ直ぐになる。冷蔵庫ですこし冷やす。

薄力粉に、パン粉、卵。わたしはパン粉をまぶして、油で揚げる。

3人で食卓を囲む。おばあちゃんおじいちゃんは、エビフライを4つくらいしか食べない。なぜだ。わたしはいっぱい食べることになる。

おばあちゃん家に行くと、大抵胃もたれする。デザートにぶどうを一房食べたりする。なんたる贅沢ですか。だめだよ!しかも今日は敬老の日なのに。

おばあちゃんとおじいちゃんと過ごしていると、平和ボケしてしまうほど、穏やかでいられる。ゆるい防犯意識のこの家に、なぜ空き巣犯がこないのか。ここらにはやさしい人しかいないんじゃないか。ユーミンの『やさしさに包まれたなら』を思い出す。きっとここには神様がいるように思う。

いやいや、平和ボケしちゃいけねえ。わたしになんの責任もいらないから、こんなに安心できるのだ。ここは学校もバイトにも無縁な場所で、いまは夏休みだから学校に行っていないという罪を犯していないし、おばあちゃんおじいちゃんは、わたしの生活状況をあまりしらないから。

ぐうたら猫になった気分だ。たまにはこんな生活もいいのだろうけど、わたしは何にも頑張っていないから、いつもぐうたら猫だから、だめだ。

二階に敷布団をひいて、寝る準備をする。おばあちゃんたちは、一階でテレビを見ている。前よりテレビの音量が大きくなった気がする。おばあちゃんは耳が遠くて、言葉が音として伝わってしまう。わたしは言葉にするのを怠って、つい頷きや首を振ることで答えてしまう。おばあちゃんともっと会話をしないと。補聴器も合わないらしい。聞こえやすい音量とトーンがあるみたいで、研究している。おじいちゃんの言葉はおばあちゃんに届く。会話もスムーズにしている。

おばあちゃん家のすべてが好きだ。鏡、タンス、ドライヤー、えんぴつ、テレビ、なんでも。おばあちゃん家にあることによって、プレミアがつく。おばあちゃんが大好きだから。

お風呂に入って、化粧水塗って、ドライヤーをして、横になる。となりにはおばあちゃんがいる。わたしが寂しいだろうと思って、いてくれる。寂しくないけど、一緒に寝る。おばあちゃんはプスープスーと寝息をたてる。うるさいけど、一緒に寝る。

ツイッターで、たくさんの人の生活を知れるようになった。ツイートは生活のほんの一部を切り取ったもので、嘘かもしれないけれど、全く異なるいくつもの生活が同時進行していることに感動する。わたしのタイムラインには、子どもの成長記録とか、精神薬をポリポリ食べているとか、先生の萌えエピソードとか、いろんなことが流れている。見逃したくない。流れつづけるそうめんをガッと箸で留める、目の前を流れゆくお寿司たちを一皿残らず取る、みたいな感じで、他人の生活に対して、ツイートに対して、執着している。

電車の窓に流れていく景色を、1秒後には思い出せなくなるのが悔しくなる。さまざまな家、団地、屋根の色、洗濯物を干す人、観葉植物に水をやる人、赤の自転車、傘をささずに走る人、他人の、名前も知らない人たちの生活に触れられるような気がするから、ツイッターを眺めてしまうのかもしれない。

どんなに頑張ってもそうめんを取りこぼしてしまうことや、テーブルに埋まっていく大量のお寿司たちを目にして苦しくなるのは、すべてを食べつくすことができないから。それなら取らなければいい。けれど全部食べなきゃいけない気がしてしまう。大好物も、食べると吐き気がするものも。女子高生の飛び降り自殺動画も、新宿の殺人未遂現場写真も。

深夜、「死にたい」と検索する、膨大なツイート、覗き見する、しんどそうで、なんでこんなに世の中には死にそうにつらい人が多いんだと、絶句する。

想像できなかったこと、想像もしなかったことが、ツイッターには流れている。想像が追いつかない、想像しようとしたことが、もうツイッターに溢れている、目に見えてしまう、でも本当のことも紛れているから目を塞ぐわけにもいかない、本を読んでいればいいのだろうか、新書とか、あとテレビとか、でもめざましテレビのJK特集なんて的外れだった、ツイッターはもうわたしの一部になっているのか、ツイッターしていない人は、時代遅れになったりしないのだろうか、いや、もう毒されすぎだ!!

わたしは盗み聞きした良い言葉をメモして、自分のものにした気になったり、ツイートをいいねして、その生活に自分も関与したように思ったり、要は他人の生活を覗き見るのが好きなのだ。だから日記も小説も演劇も好きなんだろう。小説や演劇は架空のものだから良いとして、実在する他人の生活を自分に取り込んでいくのは、どうなんだろう。自分と他人は違う。他人の生活や苦しみや痛みを、ツイッターだからといって勝手に覗き込んで、自己満足なんじゃないか。電車の窓からの風景をぼーっと眺めるのもいいのに。そんな交通量調査みたいに、数取器をカチカチ鳴らしつづけなくても。

いろいろな人を知りたいのだと思う。名前を呼びたい。けど、名前を知ることができないことのほうが多いから、虚しいのだ。全人類をひとりひとり知ることはできない。だから想像するのか。すべての苦しみを知ることはできないから、祈るのか。だから、ツイッターで追い求めてしまうのか。諦めがつかないなぁ、欲張りだなぁ。

君はちっともさえないけど

真面目な人が好きだ。自転車通学で毎日ちゃんとヘルメットを被る人。校則を守って学校に携帯を持ってこない子。授業で積極的に手をあげる勉強熱心なあの人。先生に見つかって怒られるのが怖くてバレンタインのチョコを持ってこれなかった子。友だちのサボりに付き合うも、周りが気になりすぎてただ心をすり減らしたあの子。

わたしは天性の真面目じゃない。中途半端だ。ドラマの登場人物のようにエリートじゃない。わたしは正義感の強い頭の悪い落ちこぼれだ。秀でたところがない。先生にもクラスにも部活もバイトの先輩に対しても、礼儀の正しさくらいしか自信がない。

電車に乗っていたら、こういう会話が耳に入った。「礼儀正しすぎて、面白みがないねんな」「あー」「テンプレ通りっていうか、つまんない」

ずっと、ずっとそんなこと分かっていた。わたしはつまんない奴だ。だって礼儀正しさくらいしか誇れるものがない。

小さい頃から毒を嫌っていた。親戚に宗教に入っている人はいないし、とくに影響を受けたわけではない。でも、キリストの生き方がかっこいいと思っていた。アンパンマンになりたかった。オスカーワイルドの「幸福な王子」にえらく感動した。銀河鉄道の夜も。宮沢賢治雨ニモマケズみたいに生きたかった。でも、わたしは完璧な純粋ではない。素質がなかった。わたしも毒を持っていた。小学生の頃は悪口を言ったし、傷つけることをよくしてしまっていた。中学生になってからは、悪口を言ったあとの苦しさに耐えられなくて、少なくなっていった。高校生は言わなかった。人の悪口にも乗っかれない。そこがつまんないのだろうか。

毒をうまく使うと、魅力になると思う。賢く使えるのであれば。それがズルくてムカつくし、憧れる。なんか親近感も湧くじゃん。ずっと毒を抑えてきたからか、今は耐性がついたみたいで、自覚することが難しくなった。文句を言うのも怒るのもできなくなった。悪くないのに雰囲気を良くするために謝る。わたしの真面目は魅力的じゃない。真面目が魅力的な人はいる。わたし以外の真面目な人はみんな魅力的だよ。あなたが周りに笑われるたびに愛してるっておもう。どうしたらいいんだろう。わたしの好きな寺山修司には毒がある。宮沢賢治は毒を知っているからこそ、書けた物語がある気がする。人とどう接すればいいのか。どれくらいのことならしていいのか。ぜんぜん分からない。分からなくて、苦しい。真面目を捨てたくない。けど、毒を持ちたい。中間が分からない。極端すぎる。傷つけるのを恐れすぎている。

自分を守りすぎているけど、こんな自分は好きなんだ。毒を出したくない。でも、毎晩自分が嫌になる。毒を知りたい。

わたしは真面目な人を守れない。真面目をバカにする人に言い返せない。何の役にも立てない。スクールカースト底辺は、何にもできなかった。言えなかった。上手く喋れないし、頭が悪いし、要領が良くない。顔も良くない。

護身術や空手を猛烈に習いたい。面白くなりたい。コミュニケーション能力が欲しい。可愛くなりたい。手を出せないくらい可愛くなりたい。誰にも犯されない聖域が欲しい。頭が良くなりたい。賢くなって、優しくなりたい。そんな超絶ハイスペックになって、真面目な人を、守りたい。

でもなれないから、自分も毒を持って、戦うのだ。

『君はちっともさえないけど/宍戸留美』絵恋ちゃん×福田裕彦 - YouTube

宍戸留美さんの曲。これはアイドルの絵恋ちゃんがカバーしてます。絵恋ちゃんはカッコよくて可愛い。こんなふうに、愛したい。

12月9日

人に知ってもらうだけで辛さがほんの少し和らぐことがある。他の人はどうか分からないけど、わたしはある。なぜ自分は、辛くて暗い気持ちを、誰か宛てでもなく不特定多数にツイートするのか知りたい。

考えてみた。嘆いても嘆いても、他の人は傍観者だからか。見ている・見られているだけではどちらにも責任は発生しないから、感情を吐露しやすいのか。わたしは暗いツイートに何も反応がないときの方が安心する。誰かも分からないひとりに見てもらえれば良い。ブログの話になるが、ほんとうに辛い気持ちを書きなぐった文章が誰にも、存在さえも知ってもらえなかったときは、誰とも繋がらないと思った。

なぜつらさを知って欲しいと思うのか?このことを考えておかないと「構ってちゃん」と言われてもなにも言えなくなる気がする。なぜ知ってもらっただけで、見てもらっただけで、読んでもらっただけで、聞いてもらっただけで辛さが和らぐのか考えたい。