ぬくめる

日記です

最近

もうすぐ卒業です。個人的に卒業文集を作りたくて、学校の思い出を振り返ろうとしています。いきなり爆速で成長したから、言葉にできていないことがたくさんあって、どこから手をつけたらいいか。私は何とも思わずに学校に行けて、教室に居ることもできるようになりました。3年生は学校行事に出ないと決めて、体育祭と文化祭は休みました。卒業式もそんなん出るわけねーだろが!と思っていたけれど、この状況だと袴を着てわくわくしながら出席すると思います。生きている心地がまったく違って、背中は痛くないし、明日が来ませんようにとぎゅっと目を瞑ることもないし、先生やクラスメイトに対して何も思わなくなった。きっと、1年生のころからみんなは、今のわたしのように、優しくて、優しくなくて、自分のことを考えて、ときどき他人のことを考えていたんだと思う。

ああ、専門学校入学 or Die みたいに切羽詰まった状態で入学して、私には精神保健福祉士しかない、勉強だけするんだと思っていたが、いまの自分が嫌すぎるがゆえに学校生活はしんどく、生活もしんどく、うまくしゃべれない自分のことばかり考えて、登校時にビル工事の交通誘導警備員さんと挨拶し合うことで心の安寧を保っていた、自分よ。いまはもうあなたみたいに優しくなくて、優しくあることの難しさを思い知っています。いちばんかっこいいのは、ダサくて良い奴でした。学校に行ける側(そんな側があるのかちゃんと考えていないが)になって、ダサくあることの怖さを感じています。ダサいと思われることって怖いけど、いまは口からべらべらと言葉が出てきて、思ってもないことをすぐに言えるようになって、大切なことに言葉を使わなくなって、それのほうが怖いから、自分と他人のことを考えて優しくあろうとすることだけを、どうか頑張ってください。

学校でのカウンセリングが終わり、すっかり暗くなって、長袖でも寒いくらいの帰り道、前方から「ピロロローピロロー」と音がして、そっちを見ると、子のせ自転車に乗っている男の子がリコーダーを吹いていた。気持ちよさそうだなと思った。そのあとまた前方から「ピッピッ」と高い音がして、見てみると、自転車の前カゴにおさまったダックスフンドが鳴いていた。

「ピロロローピロロー」のメロディーを忘れてしまった。クラシックのあの曲だって分かったのに、忘れてしまった。もう音程すら思い出せない。やっぱり自分にとって大切なことや、楽しかったこと、嬉しかったこと、辛かったこと、ちゃんと書こうと思う。書いたら別のものになりそうな気がして書かなかったけれど、忘れてしまう方が嫌だ。面白いことや愛おしいと思ったことをちゃんと拾えるようになりたいから文章を書いていこうと思う。

私は本気です

あの緑のちっちゃな虫かごと、プラスチックの柄の網を持って、セミをとりたい。本気でやりたい。誰か一緒にやりましょう。

生きることも学校もバイトも、力が入って緊張することはあるけれど、ずいぶん楽になってきました。いまはとにかくやりたいことをやりたくて、それが、セミとりです。夏の薄暗い夜が大好きで、深夜友だちとアイスを買いに行くとか大好きで、それで、セミとりです。

最近は、人と話す楽しさを知ってきました。私はずっと、表面的な会話や相槌に抵抗があって、やろうとする気もあまりないけれど、それを優しさに感じるときもあるから、ほどほどに適切にできるようになれたらいいなと思う。軽く聞いて楽しむ態度と、真剣に聞く態度を使い分けられたらいいと思う。会話する気が常にうっすらとはある状態にしたい。話したいときとずっと黙っていたいときのムラがすごくて、相手を振り回してしまっている気がする。黙っていることが大好きになってしまった。これは『私の解放日誌』というドラマを見たせいだと思う。

自分はおそろしくダメだなぁと思うときもあるし、こんな陰鬱な態度しかできなくて周りに申し訳ないと思うときもあるけど、心の中で100回くらい他人に舌打ちしてるときもあって、最近たのしい。やりたいことをやりたい。持ち前の照れと恥ずかしさと頑固さによって、楽しむことが難しいときがあるけど、それでも楽しもうとしたい。みんな一緒にセミとりしようぜ。

12月

12月🐳日

学校終わりに友だちと箕面の滝へ行った。駅前から国定公園までの通りには、お土産店が並んでいて、おしゃれなカフェもあった。公園内にも、滝へ向かう道中にもお店はたくさんあって、もみじ天ぷらのお店や、たい焼きや玉せんなどの屋台、お食事処もあった。道中の屋台で、友だちはいちご飴、私はりんご飴(大)を買って、食べながら滝を目指した。降りてくる人は、おじいさまおばあさまが多かったので、あまり恥ずかしくなかった。友だちは、いちご飴の食べづらさに「もぉ〜」と参っていた。「りんご飴にすればよかった〜」と5回ぐらい言うなど、いちご飴を柔らかい口調で非難していた。友だちはいつも上品だ。そうだ、友だちは電車で向かいの座席にあったゴミを降車時に拾って捨てたのだった。りんご飴の串にティッシュを巻いてくれた。ゴミもさりげなく袋に入れて持っていてくれた。友だち、本当に有難う。友だちとはいつも解散のとき、バイバイしてからハイタッチを3回する。「また明日、学校で待ってるね」と必ず言ってくれる。

12月🦀日

先輩とコトリ会議『みはるかす、くもへい線の』を観に行った。すごくすごく面白かった。

12月🦦日

学校を休んだ。ひたすらに寝るしかしていない。通学が生活の一部になっていない。どうにか生活に落とし込みたい。何も思わずに学校に行きたい。

12月🐬日

オンライン授業の開始を待っている間、安心したいから学校を休むんじゃないか、と頭に浮かんだ。社会や人への安心感は、人と関わることでしか得られないのだろうか。

12月🐋日

学校へ行けた。っしゃ!!!!友だちは相変わらず最高だ。落ち込むことなく帰れた。近所のお寺がプロジェクションマッピングをやっていたので、夜にお母さんと見に行った。感動した。本屋さんで本も買えたし、筋トレもできた。良い日だ。

12月🐚日

担任の先生との個人面談があった。大人とうまく話せない大人になってしまったな。いやいや大丈夫、これから話せるようになります。

気持ちが落ち込んでいたが、帰りにパン屋のプリンを買って、どうにかできた。

お母さんが友だちの誕生日を祝うらしくソワソワしていた。友だちは60歳になるという。「花束とケーキ買っちゃったよ。60歳って特別だしさ」と嬉しそうに話していた。友だちにLINEするも外出中らしく、「お祝いしてもらってるかもしれないし」と、友だちの家(めっちゃ近所)のドアノブに花束を引っ掛けにいった。LINEの通知音に声を出して反応する母を見ていたので、直接渡せないのは自分も少し残念に思った。母はお風呂にスマホを持ち込み「もし返事が来たら言うから、ケーキ渡しにいって」と頼んできた。ケーキ渡すの諦めてなかったんだ。それからすぐに浴室から「渡しにいって〜!」と声がしたので、ケーキを持って家を出た。ピンポンを押すと少し申し訳なさそうに大いに恥ずかしそうにお友だちが出てきて、ケーキを受け取ってくれた。

12月🚢日

授業のない日。寝まくった。18時からバイトに行った。自分は挙動不審で人に迷惑をかけるという思い込みが、いろんなことを難しくしている。挨拶するのすら怖くなるな。

12月🎣日

オドオドなんて気にしてられないくらいバイトは楽しく忙しかった。頑張った。保育のバイト楽しいな。自分の姿勢を改めたいな。

12月🌊日

向井秀徳がとにかく気になる日だった。

12月🌪日

罪悪感など捨ててしまえと思った日だった。持つのであれば、正しく罪悪感を持ちたい。自己防衛のための罪悪感ばかりな気がする。お風呂に入るのが嫌すぎて、3:14になってしまった。頑張って入る。

12月☁️日

友だちの誕生日だった。お祝いできてよかった。友だちが大好きだ。

人の好意というか、人を、もっと大切にできるようになりたい。本当にこれまでは酷かった。酷かったな。これからしかないので、がんばる。

12月🌂日

久しぶりの雨な気がする。バイト頑張れた。メモをまとめてノートにしなきゃいけない。詰めが甘い。週に1,2回あるかどうかのバイトだけれど、3年続いている。「3年続けてこれ…?」という状態なのが焦りと不安を増大させているけど、その焦りを学びに変えるんだ。しっかり身につけていきたい。

12月🍊日

自分の行い全てが気持ち悪く感じた。ホルモンバランスの乱れだ。とにかくちゃんと寝て、水分取って、本を読んで、勉強したい。これらのうち一つが少しでもできたらそれでいい。

12月🕳日

迷走した日だった。3年生の研究発表を聴講しに立派な建物へ行かねばならなかったのだけれど、スーツ用のコートとカバンがなく、スーツの上からいつもの私服すぎる茶色いコートとColemanのリュックを背負って行った。電車でサラリーマンを見るたびに心臓がギュウとした。皆さん、すばらしい。友だちに「この服装はやばいかな」とLINEをした。「やばい」と「大丈夫」の言葉が綺麗に出てこず、ますます不安になった。友だちは黒染めすることを忘れていたようで「行くか、休むか…?」とLINEがきた。心が一気に休むへ傾いた。乗り換えの駅のトイレの個室で3分ほど立ち尽くした後、手洗い場の鏡で分け目がぱっくりと縦に長くつづいている頭に気づき、もう帰ろうと、反対方向の電車に乗った。それから間も無くして、友だちから「大丈夫、みんなカラフル」とLINEがきて、行くことを決心した。道にも迷ってしまって、25分くらい遅刻したが、幸いにもまだ発表は始まっていなかった。2年生の席はなぜか満席だったので、1年生の席の端っこに座った。俯いて耐えるしかできなかった。

「生きていたくないし」「この世はつらいし」という自動思考を分かってあげて、流せるようになりたい。楽しみたいんだよ人生を。

Twitterの検索欄

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12月😷日

風邪を引いた。だんだん酷くなりお腹も痛い。鼻水、咳、喉痛は無く、抗原キットでは陰性だった。胃腸炎を疑う。病院に行って検査してもらったところ陰性で、整腸剤と抗生物質を貰った。身体の痛み>精神の痛みという感じで、なんか生きていこうと思った。

12月✨日

お腹の調子が悪くトイレに駆け込んでばかりの数日間を過ごし、ようやく学校へ行けた。胃と腸がキリキリする。学校へ向かう途中の自販機にホットのほうじ茶500mlが110円であった。「抱えてくださいこのぬくもり」って書いてあったので、抱えるしかねぇだろと思って買った。

授業では、精神障害のある方が来てくださって、今までの経験を語ってくださった。死にたいと思うことに1mmでも抗おうと思った。とにかく勉強するんだ。手を動かすんだ。プロになりたい。

12月⛄️日

雪が積もった。母に「見て!外すごいから!」と起こされた。暴風に雪が散り散りになっていた。胃腸炎は回復傾向だ。体の痛みがなくなると、すぐに生きていたくないなと思いはじめた。生きていく覚悟をしたい。というかもう寂しいだけなのだと思う。人と出会って話をしたい。書も読んで、街にも出るのよ。書も読んでいないし街にも出ていないからいまとても寂しいのだよ。昨日、友だちが電話をくれて嬉しかったんだ。嬉しかったことや楽しかったことはすぐに忘れるなあ、だめだなあ。

12月🎄日

腸炎の症状が治った。クリスマスのご馳走とケーキを食べられることが嬉しくて、「いただきます」のところを「ハッピーメリークリスマス!!!」と叫んでしまった。無意識に近い叫びで、後に恥ずかしさが残った。姉が帰ってきてくれて嬉しかったのもあると思う。

12月🍎日

腸炎が回復した。胃腸の中が一掃されたからか肌がツヤツヤで、とても嬉しい。眼科行ったし、授業も受けたし、完璧だ。

12月🎁日

友だちと阪急西宮ガーデンズに行った。楽しかった。Yogiboのお店があったけれど、やっぱり埋もれることができずに通り過ぎた。

友だちといると、自分はこうしたかったんだと気づくことができる。焦ってばかりいるけれど、自分の好きなものを忘れずにいれば大丈夫だ。友だちは映画にドラマに本にKPOPにとたくさん話してくれた。お互いの学校のつらいところも話した。

『日常』の11巻と、『雨宮さん』、少年アヤさんの『うまのこと』を買った。西宮北口の駅に何故かモニョチタポミチさんのガチャガチャがあったのでガチャった。帰りに空を見ていたら、UFOは星に擬態できるのかもしれないとなんとなく思った。

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12月🔥日

ロームシアター京都へ『ツダマンの世界』を観に行った。演劇すごいな。3階席からでも存分に楽しめた。ゴールデンラヴィットをずっと楽しみにしていて、見れてよかった。人間っていいな。楽しいことやりたいなと思った。

12月🐕日

友だちと散歩した。遊び納めだ。友だちの地元の山を目指して歩いた。目前まできたけれど疲れすぎてやめた。

12月🛸日

12月も終わりです。2022年が終わります。苦しかったけど、楽しいことも必ずあった。来年は楽しいことをいっぱい書き残したい。楽しいことへの感性を弱らせず生きていくぞ!

今日は学校で避難訓練があった。学校に心がゴリゴリやられている私にとっては、まずは心の避難方法を教えてくれや!という気持ちだった。近くの公園まで、群れに上手に紛れながら避難した。

教室では、敵はいないのに防御に徹してしまって、体も心も固まりきっている。友だちはいるのだけれど、心身がついていかず上滑りの会話になってしまって、それなら無いほうがいいかと思って、一人でもやっていけるからと、自分の机にしがみついている。

避難訓練が終わったあと、友だち(つねっち)がご飯に誘ってくれた。商店街の喫茶店に入って、オムカレーを食べた。服の話とか、バイトしてる丸亀製麺の話(期間限定メニューのタル鶏天ぶっかけが、めちゃくちゃダルいらしい)とか、他愛のない話をした。ずっと笑っていた。つねっちと仲良くなったのは、一年生の頃、あまり話したこともなかったのに、つねっちが「韓国料理食べに行こう」と誘ってくれたのがきっかけだ。私はつねっちの、好きなものに飛び込んでいくところが好きだ。行動力がとてもあるけれど、気遣い屋で、よく謝るし、周りの目や同調圧力にビクビクしているときがある。遊びに誘ってくれたときや、やりたいことを提案してくれたとき、つねっちはいつも、もごつく。からだ全体もごついて、伝えてくれる。その姿にいつも感動して、勇気をもらっている。

教室では、心身のしんどさもあるから、心を動かさないようにしていた。存在をなくすことに努めていた。けれどそういえばわたしはつねっち初め、友だちが大好きだった。教室でも話していたい。上滑りの会話になるからとか、言い訳だった。友だちの近くにいって、名前を呼ぶだけでいいのに。不確実性に弱い。友だちに飛び込んでいきたい。

幸せな一年になりますように

誕生日を迎えて、祝ってもらった。幸せな一年になりますようにと言ってくれた。こりゃもう幸せな一年にせにゃいかん。祝ってもらったことはとても嬉しかったのだけれど、こんなに実感がなくて、生き延びたことに誇りを感じない誕生日は初めてだった。頑張れなかったし、頑張らなかった。

幸せな一年にしたいな。人を大事にしたい。やりたいことをやって、やりたいように生きていきたい。いっぱい痛い目を見て、やさしさを受け取って、やさしくなりたい。他人への態度、生きる態度が最悪だ。まず部屋を片付ける。

生きていくモチベーション維持のため、これをつくった。

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小学校の先生が押してくれていたスタンプや、シールを貼っていく。自分でやるのもいいし、この試みを受け入れてくれそうな友だちに、押してもらったり、サインを貰ったりするつもりだ。ごほうびスタンプやシールを貯めていきます。

幸せな一年にするぜ!!

ぬくめたい

他愛のない話をするとき、何も言葉が出てこなくて、頷くばかりになる。いちど文章にしたことや、普段から考えていることは話せるのだけれど、雑談となると頭から言葉が消え去るような感じになる。会話が下手っぴだ。だからこうやって文章でたくさん考えておこうと思う。自分の心のことだけじゃなくて、好きなものとか、好きな人たちのこととかを考えたり、いつもはどうでもいいと思っていることを観察してスケッチみたいに記していきたい。

でもいまは心が大変なので、心のことを書く。

しんどいことをそのまま書いているので、体調がよくなかったり、心がつらいよ!という状態の方は、また今度読んでくださったら嬉しいです。読む読まないは自由だし、流し見でもよい、人は自由…

 

学校のこと

2年生になってから、学校に行くのがつらくなってきた。教室に居るのは大分と楽になったし、緊張も和らいできたけれど、学校や先生・クラスメイトに対するイメージが、中学・高校と変わらない。他のところは変化したり成長していても、このイメージだけは変わらない。

学校にいる間は、中学や高校の自分と一緒に過ごしている気分になる。一体となっている。不登校であるだけで他人に気を遣わせてしまう、負担になってしまうと思い込んでいる。カウンセラーの先生にしか相談できない。もう21歳になるのに、自分がとても未熟であるように感じる。いまも不登校の真っ只中にいる気になってしまう。

こう感じてしまう原因には、

  1. 不登校は未熟だからなるんだ」と思い込んでしまっていること。そんなわけないのに、それを内面化してしまったこと。
  2. 母(家族)の対応が変わらないこと
  3. 空白の時間を取り戻すことに納得いかないこと

が挙げられるのではないかと思う。

まず1について。私は不登校状態にある自分のことをひどく責めてきた。学校に行けない自分を罰しないといけないと思って、ツイッターや知恵袋で「不登校」と検索をかけては、誹謗中傷を読んだりだとか、とにかく自分で自分を罰することで、生きる権利を得ようとしていた気がする。親に言われた言葉や、先生に言われた言葉は恐ろしくて、自分を脅かすものばかりだった。それらを内面化してしまって、屈服寸前までいってしまった。こびりついている。悔しいし、恨めしくもなる。けれど生きたいので生きていくし、自分を大切にしたいから大切にする。

不登校は未熟だからなるのではありません。不登校は抵抗のひとつです。自分を守ろうとしている立派な抵抗です。大切な自己主張です。あなたは孤高です。孤高でもあるし、人とつながることも、もちろんできる。あなたは弱くもあって、強くもあるよ。それはみんなそうなのだけれど。あなたは特別かっこいい。私はあなたが特別に好きだ。本当に尊敬している。

2のこと。家族なりに考えているのだろうし、対応も変わってきたけれど、休みが増えてくると、母に焦りが出てくる。「父には黙っててあげてるけど、これ以上休んだら、言うからな」と言ってきたり、将来のことを心配される。学校に行っているはずの私のいる家に帰ってきたとたん、ため息をつかれたり、怒りをあらわにされたり、朝にドアをどんどん叩いたり、挙げ句の果て蹴ったり、怒号がとんできたり、部屋に強行突破されることは、もうないけれど、母が焦ってイライラしてくると、これらのことを思い出し、いっきにあの苦しかったときに引き戻されるような感覚になる。母がため息をつく、怒っているだけで、目をぎゅっと閉じたくなる。

3のこと。空白の時間とは、学校にいなかった時間のことだ。部屋で過ごしていた時間。自暴自棄になって、人生がどうでもよくないのに、どうでもよくて、勉強する気力がなくて、人と関わるのも自分は不登校だからと抑え込んでいた。普通に勉強したかった。友だちと話したかった。家族と話したかった。やっぱり自分は未熟で、成熟しなくちゃいけないと思っていて、学校でも適応するために頑張っては、馬鹿みたいに疲れている。

 

話下手なこと

こんなに喋れないのかとびっくりすることがあるけれど、ゆっくりやっていけばいい。親しい人とは話せるんだから。親しい人と話すときでさえ不安になることもあるけれど、その人たちの胸を借りよう。同世代や大人と話すのに緊張しまくるけれど、もう、緊張しながら頑張れ。喋りたくないなら喋らないでいいよ。無口でいる代わりに仕事はできなくちゃとか思ったりしてしまうことを、もっと考えていきたい。

 

家のこと

家を出たい。一人暮らししたい。母に「家帰ったら、あんたおらんかったから、おばあちゃんところに家出したんかなと思った」と言われ、ゾッとした。この家に不満があるんだろ、出ていきたいんだろ、と言われたような感じがした。私も母に対しての当たりがきついし、母もそれに応戦するので、バッチバチになる。「おばあちゃん家住みたい」と言いまくる私も悪いのかもしれない。

 

演劇のこと

演劇、とても楽しい。かっこよくて優しい人たちに出会って、こんなふうになりたいと思った。演劇を続けていきたい。演劇なら、人と関わることを頑張れる。演劇が楽しいから。表現することや、考えること、皆んなとやることが楽しい。うまく話せなくて落ち込むこともあったけれど、まぁ初めはこんなもんだよ、と思えるくらい、演劇は楽しい。

 

失恋のこと

失恋した。びっくりした。カノジョのカの字もなかったのに、その人から「カノジョ」って言葉が出てきて、それはその人のカノジョに間違いなくて、びっくりした。突然のカノジョにびっくりした。喫茶店でその人を含め4人で話していたのだけれど、カノジョ以降、水をすすることしかできなかった。びっくりした。