ぬくめる

日記です

12月9日

人に知ってもらうだけで辛さがほんの少し和らぐことがある。他の人はどうか分からないけど、わたしはある。なぜ自分は、辛くて暗い気持ちを、誰か宛てでもなく不特定多数にツイートするのか知りたい。

考えてみた。嘆いても嘆いても、他の人は傍観者だからか。見ている・見られているだけではどちらにも責任は発生しないから、感情を吐露しやすいのか。わたしは暗いツイートに何も反応がないときの方が安心する。誰かも分からないひとりに見てもらえれば良い。ブログの話になるが、ほんとうに辛い気持ちを書きなぐった文章が誰にも、存在さえも知ってもらえなかったときは、誰とも繋がらないと思った。

なぜつらさを知って欲しいと思うのか?このことを考えておかないと「構ってちゃん」と言われてもなにも言えなくなる気がする。なぜ知ってもらっただけで、見てもらっただけで、読んでもらっただけで、聞いてもらっただけで辛さが和らぐのか考えたい。