ぬくめる

日記です

12月19日

3・4限目の世界史Aの授業は、とても面白く楽しいのだが、前の席に授業態度の悪い人が座っている。斜め後ろの友だちと話すために、体を横に向けて座る。すぐ前に、その人の横顔。刈り上げられた頭にはサングラス。緊張する。その人はだいたい寝ているけれど、起きているときは暇つぶしをするかのように先生の言うことに噛みつく。もう寝ていてほしい。だけどその人にも授業を受ける権利はある。その人はさっきまで寝ていたのにいきなり積極的に発言しだしたりと気まぐれに授業を受ける。先生は驚きもせず普通に対応し、参加する態度を歓迎しているようにも見える。ちょっと悔しくなる。前の席の人は、授業終わりに先生をドアップにして動画を撮っていた。インスタのストーリーらしい。そんなことすんなよ!!

その人の言動になにも共感できないのはいいのだけれど、なぜそうするのか想像もできないのは少し怖い。その人をヤンキーと形容してしまうのが嫌だ。ヤンキーの要素を持っている人だ。その人の前でのわたしは、地蔵モードに入っていて、その人がなにをしてもなにを言っても心を動かさないようにしている。それがその人の存在を無視してしまっているように思えて、自分が少し嫌になる。どう接すればよいのか分からない。そもそも接する必要はないのだろうけど。自意識過剰だ。だけど、無視するのは違う気がして。人間だ、同じ人間、だけど分かんない!同じ人間だけどこんなのにも違うのですね、そう自分は自分、他人は他人!

自分と他人の線引きをちゃんとしたい。他人の言動に対して、わたしは責任を感じなくていい。自分に責任を持つ。自己認識がぜんぜんできていなくて、疲れてるのにバイトも遊びも詰め込んじゃうし、お金ないのに遊びの誘いを断らなかったり、観劇の予約とってしまったり、当事者意識がどうにかしてる。最近、かおるちゃんは「なにを話せばいいのか分からなくて自分の好きなことを長々と話してしまう」らしいことを知り、申し訳なくなった。お客さま目線で生きてきたよ。

かおるちゃんと出会ってから、中学からの大切な友だちとまた話すようになって、自分の好きなものや嫌いなもの、そういうことをぜんぜん考えてこなかったなぁと思い知った。向き不向きも分からずやってきている。そりゃ疲れますよ。人に意見を求められても言えない。というか何も浮かんでこない。空っぽだ。自分の望みを言うことにも責任があるのだと知った。人に意見を言えないのはなぜか、意見が浮かんでこないのはなぜか考えたので、聞いてください。

意見を求められるとき、たとえば複数人で会議やグループワークをしているとき。まずそこに適応するのに時間がかかる。この場所は広いなぁ、寒いなぁ、この人はこんな声でこんな喋り方で、足を組んでて、おしゃれで、眠そうだな、とか。ただ頷くわけにはいかない。中心で回す人がいないが、これはわたしがやったほうがいいのか?などと、適応に時間がかかって、考えなければいけないことに頭を使わず、そのせいで意見を訊かれると何も出てこないのでは、と。

帰りの電車に、サンタの扮装をした男性の外国人の方が1人席に座っていた。日本に何しにやってきたのだろう。いや、観光客の方ではないのかもしれない。サンタクロースは浮いてなかった。当たり前にそこにいた。日本人がその格好だと浮いていたと思う。サンタクロースがしているイヤホンから、ロックっぽい洋楽が音漏れしていた。頭を前後させてリズムをとっていた。機嫌の良いサンタクロース。その格好をしている理由を知りたい気持ちよりも、ありがとうという気持ちが強い。ありがとうサンタクロース。あなたのおかげで、とてもたのしい。