ぬくめる

日記です

12月20日

バイトうまくいかなかった。バイトのくせに貢献したい気持ちが強くて、でもなんで貢献したいのか自分でもよく分からない。

能力がないから、コミュニケーションも上手くとれないから、態度だけは良くしようと思っている。従業員さんとの会話ではbotみたいな受け答えしかできない。もうbotの方が上手だよ。一生懸命さが、周りにとって厚かましく見えてないだろうか。冷静でいたい。

他の従業員の人に、わたしが系列店舗のヘルプに飛ばされていることを「使われてる」と言われた。「そういう性格だからかな、わたしには全然言ってこないもん!」と言われた。やっぱ使われてるのかー、と思った。なんでこんなに貢献したいんだろ。頑張らなきゃ価値がないし、バイトしなきゃ頑張ってるように思えないし、バイトしなきゃ演劇観れないし本買えないし。

働いてやってます、所詮バイト、とは思えなくて、はー!でもそう思いたい。強気でいたい。能力と責任感が釣り合ってないよ。能力低いくせに責任感強すぎだよ!!

ビビりながら働いている。ずっとこうなんだろうか。だれかのフォローとかできるだろうか。いやそれより自分をなんとかしないと。守ってもらうばかりは嫌だ。能力が欲しい。

結婚式、余興とか誰かやってくれるんだろうか、そんな友だちできるだろうか。余興をやるような人間じゃないわたし、なんだかとてもつまんなく思ってきた。成人式とか同窓会とか、出席するだろうか。

もうなんか、みうらじゅんさんみたいになりたい。面白い悪口言いたい、というか面白い悪口ってあるのか?わたしのおばあちゃんが、道にガムをペッと吐いた時、大好きなおばあちゃんのこともっと好きになった。もっとゆるく生きたいよ。でもゆるくってどんなのか分からない。

カネコアヤノさんの歌を歌えるようになろう。いつでも口ずさめるように、いまから覚えよう。髪の毛染めよう、またビビって前と同じ色を買ってしまった、だけど染めよう。あしたもバイトだ。

12月19日

3・4限目の世界史Aの授業は、とても面白く楽しいのだが、前の席に授業態度の悪い人が座っている。斜め後ろの友だちと話すために、体を横に向けて座る。すぐ前に、その人の横顔。刈り上げられた頭にはサングラス。緊張する。その人はだいたい寝ているけれど、起きているときは暇つぶしをするかのように先生の言うことに噛みつく。もう寝ていてほしい。だけどその人にも授業を受ける権利はある。その人はさっきまで寝ていたのにいきなり積極的に発言しだしたりと気まぐれに授業を受ける。先生は驚きもせず普通に対応し、参加する態度を歓迎しているようにも見える。ちょっと悔しくなる。前の席の人は、授業終わりに先生をドアップにして動画を撮っていた。インスタのストーリーらしい。そんなことすんなよ!!

その人の言動になにも共感できないのはいいのだけれど、なぜそうするのか想像もできないのは少し怖い。その人をヤンキーと形容してしまうのが嫌だ。ヤンキーの要素を持っている人だ。その人の前でのわたしは、地蔵モードに入っていて、その人がなにをしてもなにを言っても心を動かさないようにしている。それがその人の存在を無視してしまっているように思えて、自分が少し嫌になる。どう接すればよいのか分からない。そもそも接する必要はないのだろうけど。自意識過剰だ。だけど、無視するのは違う気がして。人間だ、同じ人間、だけど分かんない!同じ人間だけどこんなのにも違うのですね、そう自分は自分、他人は他人!

自分と他人の線引きをちゃんとしたい。他人の言動に対して、わたしは責任を感じなくていい。自分に責任を持つ。自己認識がぜんぜんできていなくて、疲れてるのにバイトも遊びも詰め込んじゃうし、お金ないのに遊びの誘いを断らなかったり、観劇の予約とってしまったり、当事者意識がどうにかしてる。最近、かおるちゃんは「なにを話せばいいのか分からなくて自分の好きなことを長々と話してしまう」らしいことを知り、申し訳なくなった。お客さま目線で生きてきたよ。

かおるちゃんと出会ってから、中学からの大切な友だちとまた話すようになって、自分の好きなものや嫌いなもの、そういうことをぜんぜん考えてこなかったなぁと思い知った。向き不向きも分からずやってきている。そりゃ疲れますよ。人に意見を求められても言えない。というか何も浮かんでこない。空っぽだ。自分の望みを言うことにも責任があるのだと知った。人に意見を言えないのはなぜか、意見が浮かんでこないのはなぜか考えたので、聞いてください。

意見を求められるとき、たとえば複数人で会議やグループワークをしているとき。まずそこに適応するのに時間がかかる。この場所は広いなぁ、寒いなぁ、この人はこんな声でこんな喋り方で、足を組んでて、おしゃれで、眠そうだな、とか。ただ頷くわけにはいかない。中心で回す人がいないが、これはわたしがやったほうがいいのか?などと、適応に時間がかかって、考えなければいけないことに頭を使わず、そのせいで意見を訊かれると何も出てこないのでは、と。

帰りの電車に、サンタの扮装をした男性の外国人の方が1人席に座っていた。日本に何しにやってきたのだろう。いや、観光客の方ではないのかもしれない。サンタクロースは浮いてなかった。当たり前にそこにいた。日本人がその格好だと浮いていたと思う。サンタクロースがしているイヤホンから、ロックっぽい洋楽が音漏れしていた。頭を前後させてリズムをとっていた。機嫌の良いサンタクロース。その格好をしている理由を知りたい気持ちよりも、ありがとうという気持ちが強い。ありがとうサンタクロース。あなたのおかげで、とてもたのしい。

友だちのかおるちゃん

かおるちゃん(仮)は、定時制高校で出会った友だちだ。去年の秋に同じクラスになった。気が合いそうだ!と直感して、警戒されないようにと、ニヤニヤして声をかけた。ナンパみたいで気持ち悪かったと思う。

会ったらなんとなく話すようになって、校外学習を一緒に回ることになった。

美術鑑賞をした。アダムとイヴが題材の絵を観て、「空が暗いから林檎をたべちゃった後なのかな」とかおるちゃんが言ったとき、なんだかすごい人といっしょにいるな…と感じたのを覚えている。ふたりでじっくり絵を観た。

それから、いっしょにお昼ごはんを食べるようになった。いまもそうだけど、あまり会話は弾まないし、毎回おなじ話題な気がする。おたがいの好きなものを紹介しあっている。かおるちゃんはツイッターとインスタを駆使して情報を仕入れていて、いろんなものを教えてくれる。かおるちゃんは本が好きで、絵にも興味があって、可愛いものが好きだ。2020年に催される美術作品展「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」(61作品すべて初公開!)に行く約束をしている。日本初来日のゴッホのひまわりをいっしょに観る…なんてすてき…

かおるちゃんが好きなものについて話す姿が好きだ。こちらの目をまっすぐに見て、「〜なの!〜なんだよ!」と良さを伝えてくれる。かおるちゃんはテキトーなことを言わない。嘘がない気がする。こちらの何気ない問いにも、ゆっくり時間をつかって正確に答える。なのでこちらもテキトーなことはしないよう慎重だ。

ぱっと見のイメージでは、「かおる」より「かおり」な感じがするけど、こういう真面目で真剣なところが「かおる」な感じがして、かおる(仮)とした。

かおるちゃんと友だちになれて嬉しい。

今年も奇跡的に同じクラスになった。お互い休みがちなので、会えることは少なかったけど、最近はふたりとも頑張っているのでよく会える。

この間、学校終わりに遊んだ。タピオカを飲みながら話した。それから本屋を回った(めちゃくちゃ楽しかった)。「どうしようか?」「なにする?」と言いながら、駅の周辺をぐるぐる回った。おたがい遊び方が分からない。けどとても気が楽で、たのしかった。ぐるぐる回ってからは、駅近のショッピングモールの外にあるベンチに座った。またぽつぽつとお話をした。

わたしがバイト先で媚びてるんじゃないかと嫌になるんだ、と話したら、かおるちゃんは「うーん」と頷いたあと、スマホを見た。ちょっと寂しいな、と思っていたら、かおるちゃんがバッと顔を上げて、「媚びじゃないよ!」と言ってくれた。いままで聞いたなかでいちばん大きな声だった。かおるちゃんもびっくりしていた。「媚び」の定義がよく分からず、スマホで「媚び」を検索していたようだった。テキトーなことは言わない、かおるちゃん。

長井短さんのコラムが好きなんだ、と伝えると、すぐにコラムを読んで「めちゃいいね!」と言ってくれた。長井短さんが夫の亀島一徳さんとやってる交換日記もオススメした。

それからわたしは意を決して、「交換日記しない?」と言った。かおるちゃんは驚きも戸惑いもせず、「しよう」と言った。こちらが面食らった。

「青春は向こうからやってこないよね」ということで、やりたいことをおたがい言っていった。下鴨神社納涼古本まつりに行くとかクリームソーダを飲むとか修学旅行をするとか、クリスマスプレゼントを贈りあうとか。交換日記のいちばん初めのページに書こう。

帰り際、かおるちゃんが「そういえばぬくちゃんと写真撮ったことない」と言ったので写真を撮ることになった。うれしかった。駅なかの大きなクリスマスツリーをバックに、写真を撮った。恥ずかしかった。インスタ映えなんて興味なかったけど(かおるちゃんも興味がない)、その写真を見返してはニヤニヤするので、インスタ映えもいいかもしれない。積極的に思い出をつくっていこう。

バイト奮闘記

スーパーのレジバイトを辞めて、9月末からパン屋の販売バイトを始めた。11月下旬に新店舗がオープンし、そこのオープニングスタッフとして働く。9月末から11月上旬までは、系列店舗で研修させてもらった。

ケーキ屋さん、お花屋さん、和菓子屋さん、など、「さん付け」で呼ばれるところで働くのに憧れる。バイト何してんの?と訊かれて、「パン屋さんです」と答えるときのすこしのドヤ感。(いま気づいたけど、誰かに話すときだけ可愛こぶって「パン屋さん」って言ってしまう)

パン屋といえば『魔女の宅急便』で、バイトが辛くても、13歳で一人立ちし頑張っているキキを思えば、なんだってできると思っていた。あのポスターのキキのように、物思いにふけた顔をして店番をし「おちこんだりもしたけれど、 私はげんきです」って心のなかで唱えたかった。

軽率だった。老舗の店だからか、教育が行き届いていて、バリバリ体育会系だった。キキの働くパン屋も立派な佇まいなので、もしかしたらキキもそうなのかもしれない。お客さんは滞りなく来店し、パンを袋に入れることに追われていた。キキ気分に浸る余裕はなく、心のなかは「パン落とすな」「パン崩すな」「やべえ」「パンがスベる」「やるしかねえ」だった。

店長は程よく厳しく、程よくいい加減な人で、接しやすかった。どの従業員ともフランクに話している。ユーモアをこれ見よがしに押し付けてくることがあるが、嫌ではなかった。

明るく良い人ばかり働いていた。びっくりした。チームワークを大切に、そのために人間関係を円滑に。みんなフォローしたりお礼を欠かさず伝える。「良い人ばかりですね…」と言ったら「変な人は辞めていくなぁ」と返ってきた。ここではみんなが真面目に働いていたから居心地がよかったけれど、こわくなった。自分は変な人側な気がするから。仕事をしにきているけど、人間関係にも気を配らないといけない。雑談はやっぱり苦手だ。

 

1ヶ月半の研修を終えて、いよいよ新店舗で働く。バイト経験があるからか、研修のときもそこまで緊張しなかった。過去のわたし、ナイス!

オープン2日目に、新店舗初出勤。たくさんのお客さんが来た。社長も店にいて、お店を活気づけている。その社長がですよ、男性のね、ええ、なんかちょいチャラいんですよね、40代くらいのね、その人、もう一人の女性の従業員にデレデレなんですよね、肩ポンポンとか頭ポンとか手の甲でその女性の頬をスリっとするんですよね、ありえねえ!わたしはぜんぜんされなかったけどね、されても微塵もデレないと決めてるけどね、でもきっとされたら笑ってやり過ごすんだろうな。

そんなモヤモヤを抱えつつ仕事し、初めてのことに慌てたりミスったりして、バイトが終わったときは、心ここにあらず、な感じだった。外は顔がうっすら見えるくらいに暗くなっていたから、疲れ切った顔で、だらーんとして歩いた。仕事は反省ばかりで、取ったメモを整理したのを書く用の小さいリングノートを買おうと、ロフトへ寄った。

うお、くっそー!クリスマス!気が早えよ!視界にチラチラと赤と緑。ロフトの便箋コーナーにはクリスマスカードがあって、だれかに贈りたいなぁと思いつつ、それくらいのお金しかないな、と悲しくなった。だれかにお菓子いっぱい入ったどでかい赤い長靴プレゼントしたいよ。ロフトのレジは長蛇の列で、だれもこんなどこでも買えるノートをひとつ持って並んでないよな、とか思って、ばかばかしくなって帰った。

新店舗でのアウェー感にうろたえている。ここにいる自分が嫌だ。嫌なのに笑って流すとか、面白くなくても無理して笑うとか、リアクション大きくするとか、相手に都合のいい嘘をついてご機嫌とったりしてしまう自分が嫌だ。心にもないことを言わないでいたい。でも、円滑にコミュニケーションをおこなうことが目的だから。

そういえば「YOUは何しに日本へ?」で、トルコ人の男性が岸和田だんじりに参加しに日本へ来た回で、トルコ人ドーアンさんが岸和田のお兄さん方に挨拶するも無視を決め込まれるなか、お兄さん方に認められたいと、トルコの伝統的なお酒で交流を図ったりして頑張る姿を見て、ここで働かせてもらうのだから、尊重し歩み寄る姿勢を見せた方が良いのではないかと、思ったのだった。

子供だって立派に媚びるし気を遣う。それがいけないことだと思ってきたけど、大人になったらそれをしないといけないときがあるようだ。でも、媚びと気遣いの違いに気をつけよう。

「ヘルプで入ってほしい」と言ってもらえて、研修していた店の方でも働くことになった。案外うまくやれていたのかもしれない。でもそれは偽りのわたし…そんなに明るくない…けど仕事を評価されているのよ。がんばったからね、よかったね、わたし!

すみっこ文化祭

「文化祭まであと0日」と書かれた大きな貼り紙が、二階の渡り廊下の窓に貼られていた。机を運んだりと設営をする人たち。クラスの出し物の準備に参加しないといけないのに、わたしは講堂の前で突っ立っていた。仕事を放棄することに理由が欲しくて、本を読んだ。黙々と読んだ。ヤンキーが顔を覗き込んできても、前に人が通っても、本を読んだ。

クラスの出し物は何なのか分からない。毎週水曜日にHRがあって、後期からは文化祭の取り組みをしていたのだけど、水曜日を必ず休んでしまっていた。なのになぜ来たのか。演劇部の文化祭公演の手伝いがあるからだ。朝のリハーサルを終えて、公演場所の講堂からは出ないといけなくなって、どうしようもなくて、とりあえず本を開いた。

飲食の出し物をすることは知っている。今頃クラスの人たちは食堂で準備をしているだろう。わたしは何をしているんだ。「いままで休んでいた身で申し訳ないんですけど、お手伝いさせてください」と言うんだ。言いに行け!と奮い立たせるも、どうしても行けなかった。

出席もつかないだろう。それはもういい。演劇部の公演がなかったら、きっと文化祭には参加していなかっただろう。当日だけノコノコやってきて、特別活動時間を稼ぐだなんて、そんなことできない。これは自分への罰だ。都合のいい罰だ。担任の先生は気にせず迎え入れてくれるだろうに。ただわたしは、自分の身を晒すことが、自分を認識されることが、怖かった。一瞬でも冷ややかな目を向けられることが怖かった。

迷いに迷って結局なにもしないとか、ごにょごにょしてなにも伝わらず終わるだとか、そんなことが多すぎる。いまもそうで、参加しないと決めたのに、開き直ることもできず、冷や汗を垂らして本を読んでいる。

どうすればいいのか、よかったのか、ほんとうに分からない。いや、分からないフリをしている。

前の高校での勉強合宿で、夜ご飯にBBQをしたときも、どう振る舞えば良いか分からず、隅に突っ立って水を飲んでいた。優しいクラスメイトにお肉をもらい、食べた。その肉が喉につまり、咳き込むことも呻くことも助けを求めることもできず、ひとりで死を覚悟した。

幼稚園のお遊戯会でダンスをしたとき、自由に踊るタイムで棒立ちだった。何かしたほうが良いのは分かっていたが、棒立ちだった。迷いに迷うがタイムリミットが来て頭が真っ白になり、真顔で棒立ちになる。小学三年生の運動会のダンスでも、最後の自分で考える決めポーズが、ひとりだけ棒立ちだった。どうしたらいいか分からなかった。

いまも、棒立ちだ。なにしてんだ。部活に入ったりバイトをしはじめてから、「しなくていいのか、したほうがいいのか分からず、結局なにもしない」のはやめた方が良いと学んだ。けど、けどさ…

こんなときは幽霊になりたくなる。自分はいま幽霊だと思い込む。優しい人にだけ見えていればいい。厚かましい幽霊だ。助けを求めていやがる。こんなこと卒業しようと思っていたけれど、またやってしまった。

前の担任の先生が「○○さん、クラスの準備いかないんですか?」と声をかけてくれた。わたしは辿々しさと申し訳なさを演出しながら訳を話す。先生が「開会式で出席を取るから、後ろの方でもいいから行ってみたら?」と優しく返してくれた。

こうして声を掛けられる気はしていた。待っていた部分もある。でも、はじめから行かないと決めていた。自分の中で文化祭はなかったことになっている。演劇部の文化祭公演にだけ参加する。そのためだけに来た。

もう18歳で、こんな優しさを受けてはいけないのは分かっているし、未熟なのも分かっていて、いいかげん卒業しないといけないのだが、卒業するには、恥を晒すしかない。こんなプライド捨てちまえ!

なんだこのプライド。わたしは上手くできないし喋れないしオドオドしてて気持ち悪いけど、完璧でいたいから、完璧な理想像があるから、恥を晒したり失敗したくなくて、なにもしない行動をとるのだ。学校へ行けないのも、このプライドが関係しているように思う。優しさを自分の心を満たすためだけに受け取り、しないといけないことを放棄する。

「開会式なので体育館に集まってください」のアナウンスをなかったことにした。隠れるようにして座り込んだ。この時間に意味が欲しくて、こんどはイヤホンを耳にさして、ラジオを聴いた。

開会式が終わり、演劇部の方々が講堂前にやってきた。担任の先生もやってきた。「気にしないでいいのに。午後から店番あるから来てくれたら助かる」と言ってくれた。惨めで仕方がなかった。惨めだったけど、すこし嬉しさがあって、こうなったら嬉しさを完全に無くさねばと思った。学校にちゃんと行っていたら、毎日行っていたら。

公演が終わってからは、クラスの出し物の受付をやった。都合いいなおい。クラスの出し物は「焼きおにぎり茶漬け」だった。用意周到で、とても申し訳なかった。

申し訳ないと思っとけば許されるなんて思うな。恥を晒して生きていけ。もう卒業するんだ。

すぐに完売し、仕事は終わった。することがなくなって、どうすればいいか分からなくなって、校舎の隅で本を読んだ。閉会式に出て、家へ帰って、泣いた。

オサムグッズの永遠と

自転車で駅へ向かう。わたしやるじゃん。でも電車に間に合わないかもしれない。

坂を下っていると、うしろでカランカランと音がした。なにか落ちたな、嫌な予感。片手でリュックのチャックを触ると、ない。アクリルキーホルダーが、ない。

もう、いいや。自転車は漕がなくても進んでいく。電車があるし、もう、いいや。憧れだったオサムグッズのアクリルキーホルダー。最近買ったばかりだった。可愛い金髪の女の子のキーホルダー。

電車のホームに駆け込むと、目の前で発車。間に合わなかった。そんなことならキーホルダー… リュックのチャックを触る。やっぱりない。

心のダメージは少なかった。つぎの電車でも間に合うし。1時間目から出席できることのしあわせ。

流れる景色をみる。日の光やみどりの色が夏より目に優しくて、秋だなぁとしみじみした。

1・2限は古典で、3・4限は現代文。国語づくしの時間割だ。現代文の授業は、演劇で知り合った同い年の友だちも同じだった。

その友だちとお昼を一緒に食べた。演劇のこととか、いままでの学校生活の話をした。

そのあと、併修している通信の授業を受けに、教室へ向かった。なかなか会えなかったひとに会えた。「前の高校で同じクラスで同じ部活だった友だち。時期はズレたけれど、わたしとその友だちは、同じ定時制高校に転入した。また同じ教室で授業を受けられるのが、懐かしくてうれしかった。

日本史の授業はとても面白かった。いつのまにか姿勢が前のめりになって、聞くことに必死になった。授業を休んでいた私、大馬鹿者ですよ。(通信の授業なので、年間4回のスクーリングで単位が取れる。あとはレポートを提出するのみ)

お母さんお父さん本当にごめんなさい。学校はちゃんと行かなくちゃ。バイトのお給料で、すこしは学費を払おう。

安心して通える学校だ。わたしはこの学校が好きだ。だけど、なぜか休んでしまう。

学校に行けたら勝ち、行けなかったら負け、など思わないようになりたい。学校に行けた行けなかったで、自分の価値を変えてしまうのを食い止めたい。

家への帰り道、小学校の下校時間と合わさった。慎重に自転車を漕ぐ。替え歌で笑っているふたり組の男の子がいて、懐かしくなった。

行き道でさよならしてしまった、アクリルキーホルダーを思い出す。あのキーホルダー、だれかの宝物になってくれないだろうか。

小さい頃、下ばかり向いて歩くこどもだった。だれかのキーホルダーを、見つけたことがあったな。道路の溝に落ちていた、ねこのマスコットキーホルダー。毛羽立ってゴワゴワしてすこし汚れていた。どこのお店にも売っていない、特別なキーホルダーだった。わたしのものにしたかったけれど、葛藤のすえ、原っぱへ隠した。そういえば、姉は宝物箱のなかに、拾ったマスコットキーホルダーを入れていた。それもねこだった。ミャーちゃん。

オサムグッズは時代を超えて愛されているから、きっと一目惚れするひとがいるはず。あぁ、だれか持って帰ってくれ、訳もわからず心を奪われてくれ。

家についた。マームとジプシーの『cocoon』をみた。なんどもなんどもみてしまう。経験していないことに手を伸ばし想像して考えつづける姿勢が、かっこいい。日本史の授業では第一次世界大戦のことを習った。もっと詳しく知りたい。

19時ごろ、母が帰ってきた。晩ご飯の料理を手伝った。家事を母に任せっきりなので、手伝う習慣をつけたい。いざ手伝うとなると、恥ずかしくなるから、習慣をつけろ!

いま ひらめいたのだけれど、習慣になったやさしさは、尊い気がする。迷いはなく、恥ずかしさもなく、利益を考える間もなく行動にでる。それって本当にやさしくて、それができる人が、やさしい人なのでは。やさしさには種類があるから、それだけではないだろうけど!

夜ごはんを食べながら、母にキーホルダーの話をした。母が「じゃあ、探してみよっか」と言ったので、ふたりで散歩がてら捜索することになった。

母と歩くのが、久しぶりに感じた。いっしょに買い物へ行くこともなくなった。いま書いていて、すこし寂しくなった。こうやって一緒に暮らして話をするのも、いまのうちだけだ。

前に、ふたりの影がながーくうつる。懐かしい。きょうは懐かしいことばかりだ。

スマホのライトを使って捜索したが、アクリルキーホルダーは見当たらなかった。母は、どうやってスマホの懐中電灯機能を使うのか分からなかった。

母が「ありゃまー」とか言うので、キーホルダーが見つからなかったことにすこし悲しくなった。「ここらへん小学生が通るから、だれかが持って帰ったのかもね」と母が言った。誰でも考えることなのかもしれないけれど、わたしたち親子だな、とおもった。セブイレに立ち寄って、アイスを買って、コンビニ袋をカサカサいわせながら、帰った。母が駐車場付近でアライグマをみたことや、ダイエットしなきゃとおもっていることを話した。お父さんとお母さん、お姉ちゃんたちに、長生きしてほしくなった。こんな話をもっといっぱいしたい。

9月16日

寝坊をしてしまって、朝からおばあちゃん家にいる予定だったのに、午後4時におばあちゃん家に到着予定になってしまった。まぁ、朝から行くとは連絡してないからいいか。おじいちゃんに「今から行く」と電話をして、出発。

おばあちゃん家へ向かう道のりは、特別だ。おばあちゃん方面へ向かう電車、窓から見える景色、乗車する人々。

他の電車と違って、この電車では周りの目が気にならない。乗車する人すべてが優しい人にみえる。座席は自分の特等席のように感じる。

降りた駅の改札口で、おばあちゃんが待っている。嬉しそうに笑って、手を広げて、抱きしめてくれる。外国の映画でよく見るシーンを、わたしたちは自然にこなすことができる。

おじいちゃんは車の運転席で待っている。後ろの席におばあちゃんとわたしで座る。おばあちゃんの肩に頭を乗せると、わたしの頭におばあちゃんが頭を乗せる。どんなときでも乗せてくれて、おばあちゃんといるとき、自分の前世は猫だったんじゃないかと、よく思う。

家は二階建てで、ちょっとボロくて、トタン屋根は茶色に錆びている。

玄関に入ると、靴棚の上に、小さい信楽焼の狸がいた。おじいちゃんが旅行先で買ってきたらしい。狸をじっと見ると、おじいちゃんが「それええやろ」と言って、狸の目線をドアの方に調節し、いい感じになったら、狸の頭をポンと叩いた。

お仏壇に手を合わせて、ちょっとしたら、晩ご飯の買い出しに行く。おじいちゃんの車でスーパーに行く。運転がすこし心配になってしまう。キョロキョロしつつ、悟られないよう隠す。

スーパーに着いた。わたしはカートを押す係だ。おばあちゃんに「すき焼き風に焼いたやつがいい? 胡椒のほうにする?」と訊かれた。どうやら今日の晩ご飯は、わたしが好きな野菜炒めらしい。わたしは「すき焼き風が良い」と答えた。

そしたらおじいちゃんが「たまごあるか?」「肉は違う店でみよか」と言うので、嫌な予感がした。本物のすき焼きと話がすり替わっている。

すき焼きなんて!そんな!昨日、姉と父がおばあちゃん家でご馳走を食べたばかりなのに。よし、とんかつにしよう。「やっぱりトンカツが食べたい」

おじいちゃんは職人のような目で、魚やら肉やらとにらめっこする。おばあちゃんとわたしは、お買い得商品を手に取る。おじいちゃんは「そんなんはあかんわ」と、別の高級のほうを勧めてくる。おばあちゃんは「こっちのとそんか変わらんよ」とキッパリ言う。おじいちゃんは「そうか」と口をつぐむ。主婦強し。

次の日の昼ご飯は、エビフライにした。揚げ物続きになるが、まあ食べれるでしょ!

おばあちゃん家のキッチン。ジブリに出てきそうなキッチン。

トンカツの予定だったが、おばあちゃんに「エビフライにしやん?」と言われたので、エビフライにした。トンカツもエビフライも大好き。

おばあちゃんは料理上手だ。よくわたしに「見てるだけでも勉強になるよ」と言う。手伝ったらアドバイスをくれる。

海老の殻をむいて、爪楊枝で背わたをとる。おばあちゃんは器用にとるけど、わたしは身をほじくるだけだった。それから身に斜めに切れ込みを入れる。こうすると海老が真っ直ぐになる。冷蔵庫ですこし冷やす。

薄力粉に、パン粉、卵。わたしはパン粉をまぶして、油で揚げる。

3人で食卓を囲む。おばあちゃんおじいちゃんは、エビフライを4つくらいしか食べない。なぜだ。わたしはいっぱい食べることになる。

おばあちゃん家に行くと、大抵胃もたれする。デザートにぶどうを一房食べたりする。なんたる贅沢ですか。だめだよ!しかも今日は敬老の日なのに。

おばあちゃんとおじいちゃんと過ごしていると、平和ボケしてしまうほど、穏やかでいられる。ゆるい防犯意識のこの家に、なぜ空き巣犯がこないのか。ここらにはやさしい人しかいないんじゃないか。ユーミンの『やさしさに包まれたなら』を思い出す。きっとここには神様がいるように思う。

いやいや、平和ボケしちゃいけねえ。わたしになんの責任もいらないから、こんなに安心できるのだ。ここは学校もバイトにも無縁な場所で、いまは夏休みだから学校に行っていないという罪を犯していないし、おばあちゃんおじいちゃんは、わたしの生活状況をあまりしらないから。

ぐうたら猫になった気分だ。たまにはこんな生活もいいのだろうけど、わたしは何にも頑張っていないから、いつもぐうたら猫だから、だめだ。

二階に敷布団をひいて、寝る準備をする。おばあちゃんたちは、一階でテレビを見ている。前よりテレビの音量が大きくなった気がする。おばあちゃんは耳が遠くて、言葉が音として伝わってしまう。わたしは言葉にするのを怠って、つい頷きや首を振ることで答えてしまう。おばあちゃんともっと会話をしないと。補聴器も合わないらしい。聞こえやすい音量とトーンがあるみたいで、研究している。おじいちゃんの言葉はおばあちゃんに届く。会話もスムーズにしている。

おばあちゃん家のすべてが好きだ。鏡、タンス、ドライヤー、えんぴつ、テレビ、なんでも。おばあちゃん家にあることによって、プレミアがつく。おばあちゃんが大好きだから。

お風呂に入って、化粧水塗って、ドライヤーをして、横になる。となりにはおばあちゃんがいる。わたしが寂しいだろうと思って、いてくれる。寂しくないけど、一緒に寝る。おばあちゃんはプスープスーと寝息をたてる。うるさいけど、一緒に寝る。