ぬくめる

日記です

幸せだ!

あさ、キューピーコーワゴールドを飲んだ後、「体力の限界」と呟いた。

正面向かいに座っていた母が、「今日は休んだら?」と言った。ここで、このタイミングで聞けてしまうのか。状況整理のために一瞬固まってしまった。

おもい体をなんとか動かして、駅に向かい、電車に乗った。景色を見るのもしんどくて、窓ガラスを見ていた。マスクがなければ、完全に疲れた人で、席を譲られていたんじゃないかと思う。みんなマスクを取ったらどんな顔で、表情なんだろう。疲れている人、いっぱいいそうだ。

「次は〇〇駅、〇〇駅です。〇〇駅を出ますと終点の〇〇駅に到着します」とアナウンスが入り、

「いつもご乗車ありがとうございます。体調が悪いと感じた際は、いちど駅に降りて、外の空気を吸ったり、ベンチに座るなど休んでから、もう一度ご乗車ください。また、体調の悪い方を見かけましたら、お声がけし、駅係員にご連絡ください」

と続いた。こんなアナウンスは聞いたことはあるのだが、今日はすごかった。低音の穏やかな声で、すべての音が丁寧だった。たぶん車掌さんのオリジナルのところがあって、そこを、肝心なところを、忘れてしまった。「コロナ対策のために、怪しいやつに目を光らせろ」みたいな、エチケットに気をつけましょうみたいなものではなくて、本当に心から日々の疲れを労ってくれるようで、感動した。

学校に着いて、友だちに挨拶して、しゃべる。たのしい。クラスメイトと目を合わすことも、肩を叩くことも、手を振ることも、笑うことも、話しかけることも、できるようになった。いままで、とても人や社会が怖かったのだと思う。ずっとガチガチだったし、教室でもどこでも、どうしていいか分からなかった。いまはそんなときが少ない。しゃべっていなくても、平気でいられる。いろんな人の優しさと、人からの優しさを大事にしてきた自分のおかげだと思う。なんだか本当に、羽化した気分だ。

タイミングだ、と思う。今朝の母の言葉に、一日中、じわじわと驚いていた。ずっとずっと欲しかった言葉なのに、嬉しいとか困惑だとか怒りだとか、そんな感情はない。ただ母があまりにも自然に言ったので、なんでそんなことを言ったのか分からなかったし、私も「お、有難う」と受けとれたしで、もう、そんなタイミングでしかなかったというか、母もその言葉をずっと言いたかったんじゃないかとか、私はその言葉を、なんの罪悪感も、不登校を許してもらえた嬉しさも感じずに、ただ疲れを労ってもらう言葉だとして、受けとりたかったんじゃないだろうか。

母の言葉に乗っかりたくなったが、今日はどうしても学校にいきたかった。友だちと遊ぶ約束をして、それがすごく楽しみで、友だちに楽しみだねと言いたかった。行かなきゃ人生が終わるだとか、自分をますます嫌いになってしまうだとか、そんな理由で登校していた自分を、労いたいし、忘れないし、いつまでも大切にします。