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日記です

親子間のトラブルにより、不登校の娘を実の母が殺害しようとした、というニュースを見て、ただ「そうだよな」と思った。わたしが母を殺そうと思ったことがあるから、なおさらあり得ることだとおもった。

中学生のとき、不登校の子どもの親が集う掲示板をみたことがある。ショックだった。「うちの息子は今日も登校しませんでした」とか書き込まれてあった。親ではないから、親の気持ちは分からなかったし、分かりたくもなかった。不登校はわたしの問題であって、母の問題ではないとおもっていた。でも、母は関係者なのだと、最近になって気がついた。

中学生から今も、不登校のことを考え、不登校としてどう生き延びるか、どう振る舞えばいいのか考えている。おかげで少し楽になったとおもう。余裕ができて、母のつらさを知りたいと少しおもった。母と幾度ものぶつかり合いを経験し、母をなるべく傷つけないように、ヒステリックだから高ぶらせすぎないように、冷静に怒りや考えを伝える技術を得た。母がわたしをどうおもっているか少しだけ知ることができた。知ることができてほんとうによかった。

殺さないように、殺されないように、憎んで、愛せるなら愛したい。母を、なんとなくわたしは好きだ。いまは、なんとなく憎んでいる。殺そうとおもったときは、憎しみばかりだった。「殺す」と叫んでやろうとおもった。そうならないように、ぜったいならないように、なんとなくをずっと大切にしていたい。なんとなく母を好きだなと感じたとき、あのとき殺さなくて、「殺す」と言わなくて、後ろめたく、よかったとおもう。殺意を抱くことはいけないことではない。行動に移さないかぎり。殺さないかぎり。

母もわたしも、一方的に憎しみをもっていない。おたがい憎しみあっていることを知っている。だから殺せないし、殺されないんじゃないかとおもう。

どちらも加害者であり被害者であることを知らなかったら、もしくはそうとは思えないくらい一方的に傷つけられていたら、殺してしまうのだろうか。殺されてしまうのだろうか。そういうときは、どうすればいいのだろうか。