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日記です

11月23日

なんでわたしじゃないんだろう。通り魔、殺人、交通事故、地震津波。なんでわたしじゃないんだろう。いきなり死んでしまったあの子は、なぜわたしじゃなかったんだろう。

代わりに死んでしまいたい。これは絶対に言ってはいけないと思った。代わりがあるような死ではない。代わりに死なない、代わりに生きる、も違う。

「わたしの代わりに精一杯生きて」は、どんな気持ちで言うのだろうか。まず身近なことから考える。「わたしの分も、楽しんで」はどうだろう。わたしのことも想っていてね、片隅に置いていてね、の願いが込められているのかな。この無念を晴らしてくれ…選ばれし君だけは楽しんでくれ…だとか。死に関してとなれば、わたしは選ばれたのではなく、選ばれなかったのか。自然災害など、防ぎようのない偶然だったら選ぶ・選ばないもなかったのか。そのことには何の文句も言えないのか。文句を言っても意味がないのか。選ばれなかったことは幸せなのか。幸運なのか。選ばれなかったわたしは、どう生きればいいのだろう。あの子とわたしは何が違ったのだろう。違うものはなかったかもしれない。

わたしの代わりは居ないはずなのに、バイトとなれば代わりは確実にいる。むしろ代わった方がいい。なぜ代わった方が良いのか。その方がレジ打ちが早くミスにもすぐ対応できお店にもお客さんにも迷惑が掛からないからだ。なぜ代わりに死にたいと思ったのか。わたしは社会に何も貢献せず家族を泣かせ迷惑を掛けっぱなしの人間だから。では代わりを無くすにはどうすればいいのか。バイトであれば、レジ打ちを早く出来るようになり、ミスをなるべく減らし、経験を積んでお客さんやお店のために貢献できる人間になること。代わりに死ぬことであれば、少しでもいいから社会に貢献して迷惑を掛けなかったらいいのだろうか。

代わりがいないようにするには、代わりのない死にするためには。そういえば綾波レイが言ってた。「わたしが死んでも代わりはいるもの」って。なぜ綾波レイがそう言ったか考えてみよう。エヴァンゲリオンをみよう。だいぶ外れているかもしれないけれど、とても知りたい。想像したり考えたりできればと思う。YouTubeで検索し、セリフのシーンを見た。こんな表情で言っていたのか。ぜんぶ観よう。関連動画に『「わたしが死んでも代わりはいるもの」なんてシンガーになりたくない!』というタイトルの動画を見つけた。「残酷な天使のテーゼ」を歌っていた。ほのぼのしたし、すごく応援したくなったし、歌はとても上手だった。代わりを無くすことはできないかもしれないけれど、代わりを無くすには、やっぱり頑張らないといけないのかもしれない。考え続けていく。