ぬくめる

日記です

回想と整理

不登校のことを考える。自分のためだけに考えて、自分のためだけに書く。

一年生のころからポツポツと休んでいた。毎日行くことができなくなった。中学校は未知の世界で、とても不安だった。友だちができるかどうか、どんな人がいるのか、学校のルール、自転車のヘルメット、新しい制服、体操服、運動靴、教室がどこにあるか、休み時間はいつからいつまで、テスト、部活動。

はじめてスマホを持った。LINEを使う。もうLINEグループができていて、招待された。学年全体のグループ、クラスのグループ。最初、アニメアイコンだった。時間が経って、皆んながしているようなアイコンにすると、友だち追加が来るようになった。

学校にはいろんな人がいた。心無い発言をする人が多く怖かった。そういう人とどう関わればいいのか分からなかった。とにかくスクールカーストが気になった。クラスのLINEグループでは、いじめが起こった。教室でもLINEでも事件が起こる。自分に関係のある事件も起こる。

部活も上手くいっていなかった。先輩が怖過ぎた。楽しいこともあったけれど、まいにち緊張していた。この時のわたしは、クラスと部活しかなかったから、とても狭いところで生きていたんだ。そこしかないから、その中で上手くやろうと必死だった。本当にそこが世界だったから。世界を受け入れて、疑うことをせずに順応しようとしていた。なぜ疑えなかったのだろう、違和感を抱かなかったのだろう。いじめが起こることや、部活がいつもギスギスして陰口がそこかしこで行われていることを、おかしいと感じなかったのだろう。毎日、心無い発言を耳にし、最低な行動を見ると、それが当たり前だと思ってしまったのだろうか。ここで生きていくしかないから、生きないといけないから、シャットアウトして考えずにいたのだろうか。

わたしは今、このことを考えていて悲しい。すこし腹がたつ。やるせなくなる。

中学2年生。スクールカーストの上位にいる人たちに、なぜ先生は優しいのかと怒った記憶がある。でもわたしは、上位にいる人たちのことが好きだった。良いところがあって、お喋りが上手くて面白くて明るくしてくれて、優しいところがあった。だから好きだった。人を傷つけるところとかもひっくるめて好きとしていた。それをやめたら楽だったかもしれない。人を傷つけるところは、きらってよかったと思うんだ。そこは憎んでよかったと思う。ちゃんと嫌いで憎んでよかったと思う、そのほうが良いと思う。

後半から、別室登校をすることになった。それまでに母とのぶつかりが何度もあった。不登校に対して自分も恐れていたし、親も恐れていた。だから別室登校。教室への復帰を目標とした別室登校。

別室には、一つ上の女の人と、同い年の女の子と男の子がいた。みんな素敵な人だった。教室に先生がやってくる。授業をしてくれる先生もいれば、ただ本を読む先生もいたし、謎解きを一緒にした先生もいた。

わたしは教室に戻りたかった。このまま別室登校では駄目だと思った。なぜ駄目だと思ったんだろう。親が不安がっていたからだろうか、自分は何にも頑張っていないと思ったからだったかな。弾き出されたような気がして、普通になりたかったんだろう。

わたしは同い年の女の子がとても好きだった。勉強を頑張ったり、教室に入ろうと頑張ったり。ちょっとズレてて、話もズレるけど、大好きだった。わたしが教室に戻ったとき、となりの教室はその子のクラスで、その子と休み時間に廊下で話したりした。その子が廊下で男子とぶつかった時、男子が「菌がついた」と言って、他の男子に擦りつけたのを忘れない。その子は気づいているのか気づいていないのか分からなかった。表情は変わらなかった。どうか気づいていないで欲しかった。

別室登校をする教室は、ピアノ室だった。音楽室の隣で、埃っぽくて、窓際に調律されていないピアノが置いてあった。その子はそのピアノをよく弾いた。「上手くないから」と言いながら弾いていた。上手くなかったけど、音も記憶にないけど、楽しそうに弾いていたのは覚えている。その音で、この教室を覗いてくる奴らも、ドアや窓をバンバン叩くやつらも覚えている。わたしたちは怖がった。音楽室の隣だから、音楽の授業のときは、教室の前の廊下をたくさんの人が歩く。その時もドアを叩かれたり開けられたりした。ドアの鍵を閉めてもらえないか先生にお願いしようと思ったけれど、別室登校させてもらっているんだから、それくらい我慢しないと、と思って言えなかった。

ぜんぶ自分が悪いと思っていた。でもそうじゃない。そうじゃないんだ。

中学三年生。なんとなく教室に入ることができた。あんまり攻撃的な人はいなかった。修学旅行も行くかどうか迷ったけれど、結局行った。楽しかったような、楽しくなかったような、どちらでもないような、修学旅行だった。部活は途中で辞めた。いちばん覚えているのは、文化発表会だ。体育館の二階のいちばん奥から見た。みんな青春していた。面白いのがちょっとムカついた。いちばん最後、三年生の劇が始まる。二階を役者が使うということで、わたしは一階の体育館の奥にある放送室に逃げ込んだ。小さな窓から、息を殺して舞台を見た。ワンピースの劇だった。面白くて、とても悔しくて、泣いてしまった。

高校一年生、学校を諦めきれず、私立の全日制高校へ入学する。一年生も、教室に入れなくて泣くことが2回ほどあったが、なんとかやりきった。体育祭にも文化祭にも校外学習にも参加した。

高校二年生。学校に行けない日が多くなり、辛くなる。懇談で「甘え」「意思がない」「みんな頑張ってる」「普通に学校に行くことが親孝行」などと言われ、ここでようやく疑うことができた。

毎日つかれてしんどくて辛くて泣いて死にたいと思うのは、おかしい。電車や屋上や赤の信号を見ると死にたくなるのはおかしい。それでも学校へ行くのはおかしくないか。

というか、なぜ学校に行けなくなったんだろう。高校で学校に行けなくなったのは、謎のままだ。いま考えていることでは、中学で学校に対して悪いイメージを持ち、そのイメージというか、中学校でつらかったことを、振り切れないでいるから、学校に行けなくなったということだ。それと家庭環境。不登校だからと家族に気をつかい、ご飯を作ってもらうことにも罪悪感を抱いている。そのご飯が食べれなくなって、もっと怒られる。不登校に対して、悪いイメージを持っている。自分が不登校なことを許せない。だから家族にも気をつかう。先生にも友だちにも。不登校は良いことなのだろうか。いや、良いことだとか、そんなんじゃないと思う。不登校は、あってもいい。不登校の人は、いてもいい。良いか悪いかは置いておいて、いていいのだ。けれどわたしは、不登校なことがとてつもなく嫌だし辛いし、不登校でなくなりたいから、定時制高校へ移ろうとしている。「不登校は不幸じゃない」という人がいるけれど、わたしは反発してしまう。不幸だから。過去を振り返る形で不登校をみると、不幸じゃないかもしれない。けれど、いまはつらい。これをどうにかできないだろうか。

不登校の人は、いてもいい。これはハッキリと言えるのだけれど、わたしは不登校ではいたくない。なんだかよく分からなくなってきた。

とにかくわたしは、不登校に対する悪いイメージや罪悪感をどうにかしたい。家族と仲良くしたい。どうにかできないか考えていく。もっともっと考えて考えて、いつか自分のためだけではなくなれば。

とにかくわたしは、あの子に会いたい。