ぬくめる

日記です

12月9日

人に知ってもらうだけで辛さがほんの少し和らぐことがある。他の人はどうか分からないけど、わたしはある。なぜ自分は、辛くて暗い気持ちを、誰か宛てでもなく不特定多数にツイートするのか知りたい。

考えてみた。嘆いても嘆いても、他の人は傍観者だからか。見ている・見られているだけではどちらにも責任は発生しないから、感情を吐露しやすいのか。わたしは暗いツイートに何も反応がないときの方が安心する。誰かも分からないひとりに見てもらえれば良い。ブログの話になるが、ほんとうに辛い気持ちを書きなぐった文章が誰にも、存在さえも知ってもらえなかったときは、誰とも繋がらないと思った。

なぜつらさを知って欲しいと思うのか?このことを考えておかないと「構ってちゃん」と言われてもなにも言えなくなる気がする。なぜ知ってもらっただけで、見てもらっただけで、読んでもらっただけで、聞いてもらっただけで辛さが和らぐのか考えたい。

11月24日

11時過ぎに起きて、支度をしてお昼ご飯を食べてバイトへ向かう。きょうのバイトは14時から18時までだ。青果店のレジ打ちのバイトをしている。仕事内容はレジ打ちと、レジのサポート(列がスムーズに動くようレジの案内をする・両替・レジ打ち担当の方の休憩時間に代わりにレジ打ちをする)の2つといっていい。きょうはサポートの方だった。お客さんのカゴをお預かりし、もうすぐ空くレジへと誘導する。文字にしてみれば簡単そうに思うが、実際はすごく神経を使う。まずお客さんに「いらっしゃいませ、商品お預かりいたします」と言い、カゴを預かってから、三台のレジを見渡しタイミングを伺う。もうすぐ空くレジにカゴを置き、お客さんに「お支払いはこちらでお願い致します」と誘導する。

どうしようもなく苦手だ。オロオロしてしまって言葉も尻すぼみになる。堂々とできないし、ずっと「すみません」を繰り返している。わたしの判断で誘導をするから、いつも正解しないとと思ってしまう。でも誰も答え合せをしてくれないので自己採点だし、そもそもハッキリした答えがないし。だから不安で仕方がないし、自分を信じることができない。ゲームみたいに「ピンポン」って音がすればいいのに。ミスしたら「ブブッ」って音がして欲しい。まだ空かないレジに誘導してしまったり、お客さんから預かった商品を落としてしまったり、半ば強引に預かってしまったり。高校生だからかお客さんは割と温かな目でみてくださる。でもわたしが高校生じゃなかったら、と考えると怖くなる。でも頑張るしかないのでがんばる。

わたしの担当していたレジが、いきなりピーピーいいだして、エラーを出した。先輩2人が対応してくださった。問題なく終わったが、原因が不明で、「もしかしてわたしがやらかした?!」と不安になった。レジトラブルしまくるくせに、冷静に対応できないわたしは何なんだよー!!!

なんだか聞こえる音ぜんぶが悪口みたいにきこえる。地面がぐにゃぐにゃする。わたしはきょう何ができただろう。ミスもあったけれど、まぁ上手くやれたとは思っている。でも邪魔しかしてないんじゃないかと思ってしまう。バイトの先輩たちが「あの子と話しづらいわー」と話している。わたしもこんな風に話題に上がることはあるのだろうか。…なんか馬鹿だな。そんなに思い詰めなくていいじゃない。自己評価低いけど、周りの評価高かったときあるじゃんか。まぁ自己評価低くて、ほんとうに低かったときもあるけどね。ほんと。でもわたしはまぁ頑張ってるよ。

バイト終わりにおばあちゃん家に向かう。電車で50分くらい。電車に乗りながらこれを書いているわけだ。やっぱり書くと前向きになれる。書くことは好きだ。欲を言えば、もっと良い文章を書きたい。「書き続けてね」と言われたことがある。嬉しかった。だから書き続ける。

改札を出ると、おばあちゃんがいた。おばあちゃんへ向かって走り出した。おばあちゃんとハグした。そんなわたし達を見ていた見知らぬおじさんは、満面の笑みだった。また人を笑顔にしてしまった。

おばあちゃんと真っ暗な道を歩く。星がいつもより綺麗に見えた。今日の晩ご飯はすき焼きだ。

11月23日

なんでわたしじゃないんだろう。通り魔、殺人、交通事故、地震津波。なんでわたしじゃないんだろう。いきなり死んでしまったあの子は、なぜわたしじゃなかったんだろう。

代わりに死んでしまいたい。これは絶対に言ってはいけないと思った。代わりがあるような死ではない。代わりに死なない、代わりに生きる、も違う。

「わたしの代わりに精一杯生きて」は、どんな気持ちで言うのだろうか。まず身近なことから考える。「わたしの分も、楽しんで」はどうだろう。わたしのことも想っていてね、片隅に置いていてね、の願いが込められているのかな。この無念を晴らしてくれ…選ばれし君だけは楽しんでくれ…だとか。死に関してとなれば、わたしは選ばれたのではなく、選ばれなかったのか。自然災害など、防ぎようのない偶然だったら選ぶ・選ばないもなかったのか。そのことには何の文句も言えないのか。文句を言っても意味がないのか。選ばれなかったことは幸せなのか。幸運なのか。選ばれなかったわたしは、どう生きればいいのだろう。あの子とわたしは何が違ったのだろう。違うものはなかったかもしれない。

わたしの代わりは居ないはずなのに、バイトとなれば代わりは確実にいる。むしろ代わった方がいい。なぜ代わった方が良いのか。その方がレジ打ちが早くミスにもすぐ対応できお店にもお客さんにも迷惑が掛からないからだ。なぜ代わりに死にたいと思ったのか。わたしは社会に何も貢献せず家族を泣かせ迷惑を掛けっぱなしの人間だから。では代わりを無くすにはどうすればいいのか。バイトであれば、レジ打ちを早く出来るようになり、ミスをなるべく減らし、経験を積んでお客さんやお店のために貢献できる人間になること。代わりに死ぬことであれば、少しでもいいから社会に貢献して迷惑を掛けなかったらいいのだろうか。

代わりがいないようにするには、代わりのない死にするためには。そういえば綾波レイが言ってた。「わたしが死んでも代わりはいるもの」って。なぜ綾波レイがそう言ったか考えてみよう。エヴァンゲリオンをみよう。だいぶ外れているかもしれないけれど、とても知りたい。想像したり考えたりできればと思う。YouTubeで検索し、セリフのシーンを見た。こんな表情で言っていたのか。ぜんぶ観よう。関連動画に『「わたしが死んでも代わりはいるもの」なんてシンガーになりたくない!』というタイトルの動画を見つけた。「残酷な天使のテーゼ」を歌っていた。ほのぼのしたし、すごく応援したくなったし、歌はとても上手だった。代わりを無くすことはできないかもしれないけれど、代わりを無くすには、やっぱり頑張らないといけないのかもしれない。考え続けていく。

感動も怒りも喜びも、ぜんぶ焦りになる。カサブタの上に怪我をして、修復が追いつかない。どうしたら、何もない自分を救えるだろう。どうしたら、何かあるはずの自分を愛せるだろう。何もないことは無いのに、こんなに落ち込んでしまうのは、自分に自信がないからだろうか。賞を貰っても、賞を信じることはできないし、どれだけ愛を感じても、不安はどこにも行かない。いつからこうなったんだろう。

あたしアナウンサーになれない。と、毎日呟いている。あと、この世は無常って。なんだか最近おかしい。しんどくて堪らない。こういうことを誰かに言うこともできなくて、こうやって文章にする。文章と呼んでいいのか。気持ちを吐きすてただけで、こんなの何の意味もない。誰かを楽しくさせることもできないし、励ますこともできない。病んでいるって書きたくないし、思われたくない。この人はこういう人なんだ、ブログにしんどいことを書く人なんだって思われたくない。助けてほしい。生きてると、自分の欠点が分かってしまう。いまLINEがきた。バイトのお叱りだ。愛したい。自分を愛したい。どうすればいいか分からない。みんな凄いし、みんな魅力的に見える。わたしは、何もない。でも何かはあるはず。愛されていると噛みしめることがある。でも自分を好きになれない。自分を許せないし、愛するなんてできない。愛する方法分からない。とにかく汚い。自分は汚い。だれか、いっしょに片付けてくれ、部屋を。わたしひとりでは片付けられない。なにもかも汚い。もう無理だ。どうしたんだろう、とても憂鬱で、どうでもよくなって、でもどうでもいいわけなくて、どうでも良くないことが、どうでも良くなるのは怖いし辛いししんどい。助けてほしい。けど心配させてしまうのはとても嫌だ。でも知ってほしいから。でもそれだけじゃ気が済まないのだから、アイドルの質問箱とかにこんな悩みを送っている。ごめんなさい。どうすればいいんだろう。どうしたら、この死にたい気持ちを、自分一人で解決できるだろうか。死にたくはない。死にたい気持ちがあるだけで、わたしは死なない。心配されないだろうけど、それを望むのだけれど、どうしても心配されるのが辛いから、自分一人で助けたい。どうすればいいかわかんないけど、でもやっぱり助けてほしい。もうひとりでは抱えきれない。でもだれかに渡すこともできない。どこかに保管するしかない。

何かあるはずだから、頑張るしかない。生きるしかない。死んだら全部終わってしまうから。ときどき思うことがある。こんなに辛いのは、あのときやったことが返ってきたんじゃないかって。どれだけ苦しめばいいんだ。どんだけ生きればいいんだ。いままでわたしは傷つけてきたことたくさんあるのに、幸せになっていいのか。追い詰めすぎだろうか潔癖すぎるだろうか。自分の汚いところ愛せない。でも完璧な人間なんていない。傷つけたことのない人なんていない。どうしたらいいかわからない。寝る前、泣き出して、過呼吸になる。泣きながら助けてと縋る。さっきから胸が痛くて、ずっと不安で、夜だからかな。もうおやすみ。

10月18日

化学基礎の授業で、塩化アンモニウムと塩化ナトリウムの混合物を分離する実験をした。ペアになった子と実験を進めていった。この子とは体育でもペアだった。女性だと思う。一生懸命に授業を受ける子で、それが美しくみえた。向かい合って、やわらかいボールを投げあった。その子は、自分がなげたボールが少しでも違う方向に逸れると、謝った。わたしが投げたボールが逸れても、何も言わない。上手く投げると「おお!上手いね」などと、反応をくれた。授業の終わりには「有難う。楽しかった!」と言ってくれた。そのあと、化学基礎の授業でまたペアになった。体育の授業と同じように、とても褒めてくれる。いい気はしなかった。「褒めていれば円滑に進むだろう」と考えたもとで褒めているんじゃないかと思ってしまった。その子は褒めるのも一生懸命だった。

その子は実験中に、ほんとうに些細な、失敗とも言えないことをした。このことによって、その子はヤンキーに舌打ちをされ「きっしょ」と言われた。わたしは動揺してしまって、聞こえていないふりをした。その子は下を向いて何回も謝っていた。どうするべきなのか、どうしたらいいのか分からなくて、何も見てません風を装い、その子に「これやってくれない?」と声をかけた。一生懸命にやってくれた。落ち込んだ様子を見せなかった。けれど心の中は分からない。どこにいっても、こういうことはあるのだろうか。心無い言葉を耳にし、心無い行動を目にするのだろうか。転入した先でも、あった。転入先では心無い言葉や行動は一切無いだろうと期待をしていた訳ではない。あるだろうと思っていたが、こんなに露骨なものを目の前で見るとは思わなかった。

わたしはその子を褒めたくなった。一生懸命授業を受けるところ、表情が素直なところ。フードにウサギの耳がついたパーカー、真っ赤なリボンの髪飾り、レースがいっぱいのスカートを「可愛いですね」と言いたくなった。でも、これは褒めるのではなく、慰めかもしれない。失礼なのではないかと考えてしまい言うのをやめた。慰めのために、好意を伝えるのは良いのだろうか。あなたは傷つけられていい存在でない、あなたは素敵なんだ。知り合ったばかりのヤツに言われたくないだろうか。わたしに言う資格があるのだろうか。何も出来なかった。その子と一生懸命に実験を進めた。

定時制高校、初日

10月1日、学校へ向かう。台風が去って天気は快晴だった。学校への道のりが最寄駅と2分ほどしか変わらないので、一駅分歩いた。初めて歩く道だった。ポカポカしていい気持ちだった。大きい枯葉がコンクリートの上をズーズー擦っていた。車の通りが少ない。かっこいいバイク屋さん、いい感じの喫茶店。上を見上げたら旗のようにバサバサ揺れる青いビニールシート。女子高校生が団体で学校へ向かっていた。可愛い制服で、すこし羨ましかった。小学校の横を通った。大きな窓の向こうに生徒たちがいた。わたしもこんな風だったのかもしれない。こんな風に高校も過ごしたかった。自分で選んだものの何となく納得いかない服を着て歩く。自分の今日のコーディネートのことを考えるとソワソワする。いや今日のコーディネートて!!コーディネートって言うのもなんか恥ずかしいわ!!!オシャレになりたいな。…そう、わたしはこれからなんだ。これから高校生活を送っていく。あの生徒たちの中にも、苦しいことやつらいことを持っている人はいるはずだ。なのに、なんだか羨ましくなった。たぶん、天気が良いからだ。この絶好の天気があの教室を良く演出していたんだ。そういうことあるよね。あるある。ところどころに喫茶店がある。オシャレだ。ここは都会なのかしら。もし、もしもの話だけど、友だちとお茶できたら素敵だな。そんなこんなで、学校に着いた。

図書館の紹介をしてくださった。図書館は新しい本もたくさん置いてあって、わたしはここに通いつめようと大まかな計画を立てた。次に校舎案内。8階建ての校舎。ややこしい。少し古びた高校だ。渡り廊下がある!渡り廊下を渡ったとき、感動を覚えた。憧れだった渡り廊下。後から外から見ても渡り廊下は最高だった。うわ、サボれそうな階段がある。隠し階段じゃないこれ。こんなとこの階段使う人いるの?これもうサボれるやつじゃん。サボる度胸ないけど!ここで友だちと語りてえ!!そうそう、体育館のこと、アリーナって呼ぶんだって。「アリーーーナーー!!」と叫ぶ浜崎あゆみが脳裏に浮かんだ。ひとりで興奮した。校舎案内の間、いっしょに周っていた同じクラスになるらしい人たちとは、一言も話さなかった。教科書で重たくなったリュックを背負いひとりで帰った。べつにひとりは気にしないが、時々だれかと帰って、喫茶店に寄ってみたい。

話は続き、10月2日。入学式。桜のない入学式。またまた納得いかないコーディネートのわたし。私服で行くので余計にソワソワしたが、みんなカジュアルな格好で安心した。長い長い式を終えて、教室へ移動しHR。担任の先生は、校舎案内をしてくださった背の高いメガネをかけた男の先生だった。HRが終わったら、お昼休憩をして健康診断だ。食堂でお弁当を食べる。周りはグループができていたり、ひとりの人もいたり。のんびりと、母が作ってくれた、ちょっとだけ気合の感じるお弁当を食べた。そこに、女の子がやってきた。「おじゃまします」といって斜め向かいの席へ座った。それから何となく話が進んでいった。違うクラスだった。美空ひばりウルフルズを聴くらしい。老人ホームの介護のアルバイトを経験していて、介護が好きで介護の本も好きだという。同い年にこんな人がいるなんて。どんより感のいっさいない人で、サッパリした表情や話し方が気持ちよかった。同じクラスで少し話をしたお洒落な女の子がやってきて、3人で話をした。健康診断はみんなバラバラでやった。

健康診断が終わり校門を出ると、2人が一緒に帰っていた。2人がわたしに気づき、手を振ってくれた。「どこの駅?」と訊かれたので、駅名を答えると「わたしたちこのまま〇〇行くねん」と返ってきた。「へ、へえ…いいなー!」と無理に言葉をひねり出した。このとき内心は「今日初めて知り合ったんでしょ?!飛び級しすぎじゃない?!凄すぎない?!」と思っていた。言い終えてからも無駄な笑みを浮かべていたら、「一緒に行く?」と言われた。心の中でその言葉が高速でリフレインした。わたしは1.5秒後に「いいの?!」と言った。3人で〇〇に行くことになった。〇〇と伏せているのは、なんとなく身バレというものをするのではないかと恐れているからである。〇〇が分かるかもしれないが、このブログを読んでくださっている人はとても少ないので、大丈夫なはず。

〇〇へ向かいながら3人で話した。2人はお話が上手だった。よくそんな返しをできるなと感動した。わたしは返す言葉が見つからなくて、「そうなんだ!」などで終わる。なんとか頑張るが、ぜんぜんヒットしない。途中で「これ前の高校のときと同じパターン」と気づき、まぁどうせ気があう人は気があう人同士でくっつくんだから、いま頑張らなくてもいい。と自分を励ました。だが、それでも自分は頑張った。

〇〇に到着し、散策をした。お店を見たり、食べ歩きをしたりした。お店の中に入り、3人でチーズドックを食べた。これがあのチーズドックなんですね。感動。チーズドックのチーズは思いのほか伸びなかった。あまり美味しくなかった。LINEとツイッターを教えあった。この先をすこし不安に思う自分がいる。喫茶店に一緒に行く友だちは欲しいが、やっぱり、ホップステップジャンプ的な、段階を踏まないと。けれど、2人と出会えてよかった。深くは知らないが、2人は素敵だ。2人でなく、友だちと書けるようになる日は来るだろうか。来なくてもいい。常に緊張と不安と隣り合わせだったが、楽しかった。

家に帰りツイッターを開く。フォロワーが2人増えている。あれは夢ではなかった。呟きたいことがあっても呟けない。いや、そんなことを気にする必要はない。なんでそんなビビってるんだ。なんも悪いことしてない堂々としろ。自分の過去のツイートを確認するな!!見られてもいいだろ!!

2人は明るくて可愛くてかっこいい。なにより惹きつけるものがある。こういうところが好かれているんだ。凄いな。わたしには惹きつけるものは無いと思う。わたしはどんよりしているし、話し方も話す言葉もふにゃふにゃしている。話す言葉がふにゃふにゃすることは、本当に良くない。意思も確信も想いもこもっていない言葉を発するからそうなるんだ。黙っていたいが、黙るのも怖い。2人にビクビクしてしまっている。失礼だろ!!!どうしたら、緊張しなくて済むのだろう。住む世界が違うと思った。2人以外の人に対しても、住む世界が違うとよく思うことがある。住む世界は違うのかな。その人たちにも苦しいことやつらいことはある。楽しいことだってある。もしかすると同じことで悩んでいるかもしれない。それが分かりづらいことや、知ることのできないことが悲しくなることがある。住む世界が違うと思ってしまうのは何故だろう。同じようなところに住んでいるなと思う人もいる。なんだか自分が嫌になった。こうやって線引きをしてしまうのが、嫌だ。

これからだ。これから高校生活がはじまる。いろいろな人との出会いや発見があるだろう。勉強もできる。気が合わなくてもいい。苦手だと思ってもいい。だが除外はすんなよ!!シャットアウトするな。一緒に生きろよ。その人のこと考えてみよう。想像しろよ。勉強も苦手だからとか言うのやめろよ。勉強は遠ざけるな。わたしはこれからのわたしをつくっていく。明日に向かって、はやく寝ろっての!!

みなさん、ここまで読んでくださって本当に本当にありがとうございます。おやすみなさい。

きょうの町

葉っぱや枝が散らばる自転車置き場。赤色のカラーコーンが寝転がって休憩をしていた。蜘蛛の巣が小さく張った自転車。サドルにぺたんとついた葉っぱ。道路脇に松ぼっくり、タオル、ガラス、葉っぱ、枝。ドミノのように傾くガードレール。屋根を修理する人。バザーのように並んだ壊れたものたち。赤にも緑にもならない信号機。不揃いに梳かれた草木。下を向いた看板。 羊の群れみたいな雲。それを立ち止まって眺める人。