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日記です

11月22日 曇りときどき雨

きょうも学校へ行けなかった。友だちに会いたいな。友だちは賢くて優しくて、精神年齢がとても大人な尊敬する人です。友だちに会いに行くために学校へ行く。自分のためにも勉強する。

きょうも気分は暗かった。鬱々としていたらバイトへ行く時間になった。皮肉なことにバイトは休まずいけている。自転車を漕ぐ。なぜかカラスが電線にずらーっと並んでいる。カラスたちの下を通る。コンビニ前に溜まるヤンキーのように怖い。フンを落とされる覚悟で下を通った。人にもカラスにもビクビクしながら生きているな、と少しだけ悲しくなった。

中島義道さんの「カイン 自分の弱さに悩むきみへ」を読んで、強くなると決めた。ちゃんと本と自分と向き合って、慎重にやっていく。自分の頭で考えないと。

バイトは上手くいった。真面目で冷静で頭が良いスーパー凄い先輩と一緒だった。返品処理を問題なくできた。ほんとうに成長したけど、外国人のお客さんに「クレジットカード使える?」みたいなことを訊かれた際に指でバツを作ったあげく「ノーです!」って完璧にアホな回答をしてしまった。頭が良くなりたい。やさしくて賢くてかわいい女の子になる。ぜったいに。

書いている今は前向きだが、バイト終わりはしんどくて消え失せたかった。外は真っ暗だった。真っ暗は落ち着く。星が綺麗だ。このまま空を飛びたい。深夜高速を歌った。前に自転車に乗った学生がいる。声のボリュームを下げる。学生の横を走り抜ける。学生も歌を歌っていた。

11月21日 晴れ

日付感覚がない。きょう何日だっけ、を一日に5回くらい繰り返す。きょうも学校へ行けなかった。三週間くらい行けていないのかもしれない。とてもつらい。家にいるのもつらいので、図書館へ行った。図書館は割と人が多かった。おじいちゃんおばあちゃんが本を読んでいる。勉強しようと思って教材を詰め込んだリュックが頭が痛くなるほど重い。結局借りただけで終わった。新美南吉の全集三冊。日記と書簡だ。人の日記と書簡を合法的に読むことができるなんて。日記と書簡のコレクターになりたい。リュックに全集三冊は入らなかった。全集であることを忘れていた。せっかく司書さんが書庫から探し出してくださったのだから、返すのも申し訳ない。自転車のカゴに三冊を乗せた。本にも申し訳ない。

帰り道、中学の頃すきだった英語の先生がいま勤めているらしい交流センターのそばを通る。先生いないかなと思ってしまう。夏目漱石宮沢賢治を教えてくださったのは先生なんですよ。新美南吉の全集を借りている私になにかお言葉くださいませんか。会いに行く度胸がなくて、ペダルを漕ぎつづけた。

気分がとても暗い。外も暗くなって夜。わたしはいったい何をしているんだ。何かしなきゃと本を読む。ぜんぜん頭に入ってこない。全集三冊をいっぺんに借りたのは馬鹿だったな。この全集が欲しい。

とても気分が暗い。いつのまに死にたいのが当たり前になったんだろう。当たり前になって、いまは死にたさを飼いならすことができるようになった。でも、発作的にくる死にたさにはまだ対応しきれない。もう何にもできないし、したくない。けど、やらなくちゃいけないことがある。

日記を書く。たらたら書く。少し楽になる。わたしの最強のラッキーアイテムである「坊ちゃん」を思い出す。でも、きょうはもう寝よう。本とともに寝る。朝には枕元に「坊ちゃん」がいる。おやすみ。

つらいこと、つらかったことを書くことに抵抗がある。楽しいこと楽しかったことを書くことはとても難しい。思いっきりつらいことを書くことができないし、楽しいことも思いっきり書くことができない。自分の体内に閉じ込める。楽しいことは透明になる。つらいことは頭に居座り続ける。

つらいこと、楽しいことを人に言えないことがある。「わたしなんかの話を聞いてもらっていいんだろうか」と思って、最後まで本当のことを話せない。つらい話と楽しい話に自虐を混ぜてしまう。たいてい自虐はなんの効果も発揮せず撃沈する。あなたには本当のことを話せるようになりたい。

きょうの町

葉っぱや枝が散らばる自転車置き場。赤色のカラーコーンが寝転がって休憩をしていた。蜘蛛の巣が小さく張った自転車。サドルにぺたんとついた葉っぱ。道路脇に松ぼっくり、タオル、ガラス、葉っぱ、枝。ドミノのように傾くガードレール。屋根を修理する人。バザーのように並んだ壊れたものたち。赤にも緑にもならない信号機。不揃いに梳かれた草木。下を向いた看板。 羊の群れみたいな雲。それを立ち止まって眺める人。

わたしの将来の夢は、からくり屋敷をつくることだ。昔から現実のなかにある非現実が大好きで、お台場に立っているガンダムはとてもカッコよく胸が高鳴る。カッパが垂直に出てくる湖も好きだ。大きなカニの看板も好きだ。

現実のなかにある非現実を初めて知ったのは、小学六年生の頃だ。芸術鑑賞として学校にプロの方々が演劇をしにやってきた。みんなで体育館へ向かうと、いつもの体育館は、まったく違う何処かになっていた。暗闇から光がすうっと差した。知らない何処かだ。知らない人に 初めてみる動物に 新しい音に 光に驚いた。夢中になって観た。劇が終わり、六年生だけ体育館に残された。何があるのだろうと思っていたら、特別に舞台へ上がらせてくれるとのことだった。ドキドキしながら舞台へ上がると、周りが見えなくなった。光が舞台上に当たっていたのだ。眩しかった。前までわたしたちがいたところは白く見えた。役者さんが「このなかで演技をしているんだよ」と話していた。舞台のセットや小道具を見せてもらった。自由行動になりわたしは戸惑った。友だちについて回ったが、ほんとうはじっくりいつまでも見ていたかった。好きな人はまじまじと見ていたり、役者さんがしていた被り物を頭に被ったり楽しそうにしていた。

素敵な世界といつもの世界の境界線をみた。境界線は黒い幕をだった。黒い幕を出ると、いつもの体育館前だった。とても寂しかった。

現実のなかにある非現実が好きだ。現実がないと成立しないところが好きだ。からくり屋敷をつくることが夢と書いたが、これはほんとうで、 可能であればつくりたい。日本のどこかにゴシック様式の古ぼけたお城を築く。石畳の階段を降りた先にある気が遠くなるほど広くて複雑な地下室には、ドラキュラの棺がひっそりとある。異世界へ通じる扉もつくるし、本棚のある本を押すと現れる秘密の部屋もつくる。わたしはそこに住まない。偶然はいった人に楽しんでもらいたい。ツイッターで拡散されないように気をつける。

現実のなかにある非現実をつくることのできる仕事について、この夢を可能にしたい。夢のまた夢。

恥ずかしいが児童文学作家になりたい。演劇もつくりたい。ルイス・キャロルのように、楽しくなるようなお話を子どもにするだけでもいい。大人にも楽しんでもらいたい。このことを書くことはとても恥ずかしいが、書いてしまう。恥ずかしいのでタイトルも無しで。じゃあ寝ます。またね。

あなたとわたしへ

不登校はいてもいい。というか、いてほしい。いても何もおかしくない。

ただ、不登校に罪悪感を抱くのはやめてほしい。不登校だから、みんなは授業を受けているからって、テレビを見るのをやめなくていい。遊びに行くのもゲームをするのも日中に寝るのも、やめなくていい。罪悪感を抱きながら毎日を過ごすのはとてもつらい。そんなつらさは捨ててください。罪悪感を抱きながら生活をすることを、自分への罰としないでください。不登校は悪いことだと思っていたら、それは違います。

ネットでは「不登校は甘え」だとか「社会に出たら生きていけない」と書かれてあります。言われたこともあるかもしれません。それを鵜呑みにしてはいけません。どうか疑ってください。

あなたの甘えは不登校だからこその甘え(弱さ)かもしれません。不登校でなかったら、その甘え(弱さ)は無かったかもしれない。毎日学校に行けないこと、朝起きられないこと、意志が弱いこと、それは不登校だからかもしれない。疑ってみてください。違うこと、違う場所なら、できるかもしれません。学校がつらい場所ではなかったら、苦手で疲れる場所ではなかったら、毎日行かなくていい場所だったら、行くときの気持ちはマシにはなりませんか。甘えだと思って罪悪感を抱いたり自分にイライラしているのはただ不登校だからかもしれない。甘えている人が不登校になるのは本当なのだろうか。では毎日学校に通っている人は甘えていないのか。甘えの種類が違うのか。「不登校は甘え」だと言う人は、どの根拠を持ってそう言っているのだろうか。ただ頑張っていないようにみえるからそう言っているのではないか。不登校の甘えのことをどれほど知っているのだろうか。考えてみてください。疑ってみてください。わたしも考えないと。

わたしは全日制の高校に通っています。毎日行けなくて罪悪感をもっていました。テレビはみませんでした。申し訳なさすぎて、お母さんが作ってくれた料理を食べられなくて痩せてしまいました。親には「服買う条件に、学校行ってな」と言われたり、「根性がない」とか「社会で生きていけない」と担任の先生や家族に言われました。どうしてこんなにつらいのか、「みんなつらい」というけれど、学校に行けないつらさは知らないだろ。わたしはあなたの辛さは分からない。あなたはわたしの辛さは分からない。お互い分からない同士だ。「みんなつらい」なんて言うなよわたしの辛さはどこに行ったんだどうなるんだ。

全日制高校は毎日行くことが良いとされていて、わたしはそれはできないから、定時制高校に転入することにしました。まだ定時制高校に通っていなくてどうなるか分からないけれど、どうにかします。(全日制高校でも休んで大丈夫です。欠席できる日数を計算しながら上手く休むのがおススメです!)

不登校の理由が分からなくてもいいです。どうしてこんなつらさを感じながら生きているのか考えてみてください。それは不登校だからかもしれない、あるいはいじめだったり、家庭環境だったり。そうなることが普通なのか、疑ってみてください。わたしは心無い発言や行動に精神を削られて学校に行けなくなりました。そんなことで?と思う人がいるかもしれません。社会に出たらそういうことはいくらでもある?

けれどわたしにとって、「そんなこと」は死にたくなるくらいに重大なことでした。学校はとても狭い。狭いけれどここで生きていかなくちゃいけないから、適応しなくちゃいけない。けれど毎日のように心無い発言や行動がおこされていたり、いじめがあるのはおかしいことなんだ。でも、そこで生きていかなくちゃいけないから、どうにかそこで生きられるようにする。わたしの場合はとにかく苦しい気持ちを押し込めることでした。でも、おかしいです。心無い発言をする人や意地悪な人に、そこまでの配慮をしなくても良かったのではと思っています。それじゃあ心無い発言をする人がとても生きやすいから。スクールカーストの上位の一部の意地悪な人を、スクールカーストの上位だからといって気を使ったり媚を売ったりする必要は無かった。面白くて空気を明るくしてくれて可愛くてかっこよくて優しくて尊敬していたとしても、心無い発言や行動をするところは嫌っていてよかったんだ。先生は優しいところもあるから、と言っていたけれど、いや、いじめをするのは問題ではないか。

一度、考えてみてください。怒ってもいいんです。なんで不登校だからってこんな扱いを受けなくちゃいけないんだとか。ゲームばかりしててもいいよ、勉強はしていた方がいいけれど、とても疲れているならまずは休んでください。わたしは学校から離れて回復しました。こんなに体が楽で気持ちも楽に生きられるなんて知らなかった。回復してから、バイトをし始めました。これからのことに全部挫折するなんてことは無い。わたしは社会で生きていくし勉強をするために定時制高校へ行くんだ。先生の言う「社会」はほんの一部分だ。社会で生きていけないなんて分からない。

どうか疑って、考えて、怒ってみてください。罪悪感は抱えなくていいよ。体育祭休んじゃってもいいよ。わたしは体育祭やすんだけれど、なんか学年一位になってみんな楽しそうだったし、負けたからって自分のせいではないです。自分だけのせいじゃない。というか体育祭に自分かかわってないし。先生に事前に伝えられるなら伝えておいてもいいと思う。あとね、不登校に悪いイメージを持っている人がいると思う。「不登校は甘え」だとか。なんというかその人は人生で一生不登校に恨みや怒りを持たないと思います。持っている人はいるんだろうか。Yahoo知恵袋がすべてじゃない。不登校のことを365日ずっと考えて怒って恨んでいる人はいないと思っています。いたとしても、少ない。もしもいるなら、その人から離れること、その人の人生に登場しないことはどうだろうと考えています。不登校を悪く思う同級生がいたとしても、その人はわたしやあなたを忘れて文化祭や体育祭をクソ楽しんでいたりするんだと思います。大した敵ではないと思う。文科省は「学校復帰のみにこだわった、従来の不登校対応を見直す方針」を立てたらしいし。

どうだろう。わたしはこの文章を、不登校で苦しんでいたわたしへ書いたつもりです。でもあなたにも届いて欲しくてあなたに向けた文章にもなりました。だからか上から目線に思えたかもしれません。本当に申し訳ございません。あなたを下に見ていません。そもそも、あなたはわたしには見えないから、どこにいるのかどんな人なのかも分からない。だからどんな人でもいい。この文章も、鵜呑みにしないでください。わたしは不登校で苦しんでいたとき、励ましを受けても優しい言葉をかけられて、すこし楽になったとしても、すぐに苦しさやつらさに呑み込まれて逃げられなかった。つらい毎日が当たり前で、「世界は広い」なんて嘘だと思っていた。自分の考えをもって、正しいか分からないけれど納得はできる考えを持って、やっと楽になりました。それからいただいた言葉を思い出して、申し訳なくなったりしています。これはわたしの考えであって、あなたの考えではないから。疑ってみてください。つらいときは考えるのがしんどいかもしれないので、まずは休んでください。できるなら罪悪感を抱えずに休んでください。

ハイチュウ青りんご味

ハイチュウ青りんご味が大好きだ。これからわたしはハイチュウの青りんご味しか食べない。ぜったいに食べない。他の味は邪道だ。かつて大好きな先輩が「俺、小学生の時に、お前はこれからグーしか出すなって言われたから、グーしか出せやんねん。だからパー出したら勝てるで」と言っていた。わたしはその偉大なる先輩を見習って、青りんご味しか口にしない。

ハイチュウ青りんご味には、そこまでさせる思い出があるのだ。

演劇部で、ダンスをすることになった。わたしはダンスが苦手である。どうしてもドタドタと鈍臭くなる。周りの人はできる人ばかりだし、前にある大きな鏡には頭の中で動いている自分とは程遠い自分が映っているしで、自分の無力さをそこはかとなく感じた。踊りながら泣けてきてしまい、とうとう踊るのをやめてわーわー泣いてしまった。そんなわたしを見かねてやってきた先輩。ハイチュウ青りんご味を握っていた。ハンカチを差し出すように泣いているわたしにくださった。とても優しい先輩がくれた、ハイチュウ青りんご味。