ぬくめる

日記です

感動も怒りも喜びも、ぜんぶ焦りになる。カサブタの上に怪我をして、修復が追いつかない。どうしたら、何もない自分を救えるだろう。どうしたら、何かあるはずの自分を愛せるだろう。何もないことは無いのに、こんなに落ち込んでしまうのは、自分に自信がないからだろうか。賞を貰っても、賞を信じることはできないし、どれだけ愛を感じても、不安はどこにも行かない。いつからこうなったんだろう。

あたしアナウンサーになれない。と、毎日呟いている。あと、この世は無常って。なんだか最近おかしい。しんどくて堪らない。こういうことを誰かに言うこともできなくて、こうやって文章にする。文章と呼んでいいのか。気持ちを吐きすてただけで、こんなの何の意味もない。誰かを楽しくさせることもできないし、励ますこともできない。病んでいるって書きたくないし、思われたくない。この人はこういう人なんだ、ブログにしんどいことを書く人なんだって思われたくない。助けてほしい。生きてると、自分の欠点が分かってしまう。いまLINEがきた。バイトのお叱りだ。愛したい。自分を愛したい。どうすればいいか分からない。みんな凄いし、みんな魅力的に見える。わたしは、何もない。でも何かはあるはず。愛されていると噛みしめることがある。でも自分を好きになれない。自分を許せないし、愛するなんてできない。愛する方法分からない。とにかく汚い。自分は汚い。だれか、いっしょに片付けてくれ、部屋を。わたしひとりでは片付けられない。なにもかも汚い。もう無理だ。どうしたんだろう、とても憂鬱で、どうでもよくなって、でもどうでもいいわけなくて、どうでも良くないことが、どうでも良くなるのは怖いし辛いししんどい。助けてほしい。けど心配させてしまうのはとても嫌だ。でも知ってほしいから。でもそれだけじゃ気が済まないのだから、アイドルの質問箱とかにこんな悩みを送っている。ごめんなさい。どうすればいいんだろう。どうしたら、この死にたい気持ちを、自分一人で解決できるだろうか。死にたくはない。死にたい気持ちがあるだけで、わたしは死なない。心配されないだろうけど、それを望むのだけれど、どうしても心配されるのが辛いから、自分一人で助けたい。どうすればいいかわかんないけど、でもやっぱり助けてほしい。もうひとりでは抱えきれない。でもだれかに渡すこともできない。どこかに保管するしかない。

何かあるはずだから、頑張るしかない。生きるしかない。死んだら全部終わってしまうから。ときどき思うことがある。こんなに辛いのは、あのときやったことが返ってきたんじゃないかって。どれだけ苦しめばいいんだ。どんだけ生きればいいんだ。いままでわたしは傷つけてきたことたくさんあるのに、幸せになっていいのか。追い詰めすぎだろうか潔癖すぎるだろうか。自分の汚いところ愛せない。でも完璧な人間なんていない。傷つけたことのない人なんていない。どうしたらいいかわからない。寝る前、泣き出して、過呼吸になる。泣きながら助けてと縋る。さっきから胸が痛くて、ずっと不安で、夜だからかな。もうおやすみ。

10月18日

化学基礎の授業で、塩化アンモニウムと塩化ナトリウムの混合物を分離する実験をした。ペアになった子と実験を進めていった。この子とは体育でもペアだった。女性だと思う。一生懸命に授業を受ける子で、それが美しくみえた。向かい合って、やわらかいボールを投げあった。その子は、自分がなげたボールが少しでも違う方向に逸れると、謝った。わたしが投げたボールが逸れても、何も言わない。上手く投げると「おお!上手いね」などと、反応をくれた。授業の終わりには「有難う。楽しかった!」と言ってくれた。そのあと、化学基礎の授業でまたペアになった。体育の授業と同じように、とても褒めてくれる。いい気はしなかった。「褒めていれば円滑に進むだろう」と考えたもとで褒めているんじゃないかと思ってしまった。その子は褒めるのも一生懸命だった。

その子は実験中に、ほんとうに些細な、失敗とも言えないことをした。このことによって、その子はヤンキーに舌打ちをされ「きっしょ」と言われた。わたしは動揺してしまって、聞こえていないふりをした。その子は下を向いて何回も謝っていた。どうするべきなのか、どうしたらいいのか分からなくて、何も見てません風を装い、その子に「これやってくれない?」と声をかけた。一生懸命にやってくれた。落ち込んだ様子を見せなかった。けれど心の中は分からない。どこにいっても、こういうことはあるのだろうか。心無い言葉を耳にし、心無い行動を目にするのだろうか。転入した先でも、あった。転入先では心無い言葉や行動は一切無いだろうと期待をしていた訳ではない。あるだろうと思っていたが、こんなに露骨なものを目の前で見るとは思わなかった。

わたしはその子を褒めたくなった。一生懸命授業を受けるところ、表情が素直なところ。フードにウサギの耳がついたパーカー、真っ赤なリボンの髪飾り、レースがいっぱいのスカートを「可愛いですね」と言いたくなった。でも、これは褒めるのではなく、慰めかもしれない。失礼なのではないかと考えてしまい言うのをやめた。慰めのために、好意を伝えるのは良いのだろうか。あなたは傷つけられていい存在でない、あなたは素敵なんだ。知り合ったばかりのヤツに言われたくないだろうか。わたしに言う資格があるのだろうか。何も出来なかった。その子と一生懸命に実験を進めた。

定時制高校、初日

10月1日、学校へ向かう。台風が去って天気は快晴だった。学校への道のりが最寄駅と2分ほどしか変わらないので、一駅分歩いた。初めて歩く道だった。ポカポカしていい気持ちだった。大きい枯葉がコンクリートの上をズーズー擦っていた。車の通りが少ない。かっこいいバイク屋さん、いい感じの喫茶店。上を見上げたら旗のようにバサバサ揺れる青いビニールシート。女子高校生が団体で学校へ向かっていた。可愛い制服で、すこし羨ましかった。小学校の横を通った。大きな窓の向こうに生徒たちがいた。わたしもこんな風だったのかもしれない。こんな風に高校も過ごしたかった。自分で選んだものの何となく納得いかない服を着て歩く。自分の今日のコーディネートのことを考えるとソワソワする。いや今日のコーディネートて!!コーディネートって言うのもなんか恥ずかしいわ!!!オシャレになりたいな。…そう、わたしはこれからなんだ。これから高校生活を送っていく。あの生徒たちの中にも、苦しいことやつらいことを持っている人はいるはずだ。なのに、なんだか羨ましくなった。たぶん、天気が良いからだ。この絶好の天気があの教室を良く演出していたんだ。そういうことあるよね。あるある。ところどころに喫茶店がある。オシャレだ。ここは都会なのかしら。もし、もしもの話だけど、友だちとお茶できたら素敵だな。そんなこんなで、学校に着いた。

図書館の紹介をしてくださった。図書館は新しい本もたくさん置いてあって、わたしはここに通いつめようと大まかな計画を立てた。次に校舎案内。8階建ての校舎。ややこしい。少し古びた高校だ。渡り廊下がある!渡り廊下を渡ったとき、感動を覚えた。憧れだった渡り廊下。後から外から見ても渡り廊下は最高だった。うわ、サボれそうな階段がある。隠し階段じゃないこれ。こんなとこの階段使う人いるの?これもうサボれるやつじゃん。サボる度胸ないけど!ここで友だちと語りてえ!!そうそう、体育館のこと、アリーナって呼ぶんだって。「アリーーーナーー!!」と叫ぶ浜崎あゆみが脳裏に浮かんだ。ひとりで興奮した。校舎案内の間、いっしょに周っていた同じクラスになるらしい人たちとは、一言も話さなかった。教科書で重たくなったリュックを背負いひとりで帰った。べつにひとりは気にしないが、時々だれかと帰って、喫茶店に寄ってみたい。

話は続き、10月2日。入学式。桜のない入学式。またまた納得いかないコーディネートのわたし。私服で行くので余計にソワソワしたが、みんなカジュアルな格好で安心した。長い長い式を終えて、教室へ移動しHR。担任の先生は、校舎案内をしてくださった背の高いメガネをかけた男の先生だった。HRが終わったら、お昼休憩をして健康診断だ。食堂でお弁当を食べる。周りはグループができていたり、ひとりの人もいたり。のんびりと、母が作ってくれた、ちょっとだけ気合の感じるお弁当を食べた。そこに、女の子がやってきた。「おじゃまします」といって斜め向かいの席へ座った。それから何となく話が進んでいった。違うクラスだった。美空ひばりウルフルズを聴くらしい。老人ホームの介護のアルバイトを経験していて、介護が好きで介護の本も好きだという。同い年にこんな人がいるなんて。どんより感のいっさいない人で、サッパリした表情や話し方が気持ちよかった。同じクラスで少し話をしたお洒落な女の子がやってきて、3人で話をした。健康診断はみんなバラバラでやった。

健康診断が終わり校門を出ると、2人が一緒に帰っていた。2人がわたしに気づき、手を振ってくれた。「どこの駅?」と訊かれたので、駅名を答えると「わたしたちこのまま〇〇行くねん」と返ってきた。「へ、へえ…いいなー!」と無理に言葉をひねり出した。このとき内心は「今日初めて知り合ったんでしょ?!飛び級しすぎじゃない?!凄すぎない?!」と思っていた。言い終えてからも無駄な笑みを浮かべていたら、「一緒に行く?」と言われた。心の中でその言葉が高速でリフレインした。わたしは1.5秒後に「いいの?!」と言った。3人で〇〇に行くことになった。〇〇と伏せているのは、なんとなく身バレというものをするのではないかと恐れているからである。〇〇が分かるかもしれないが、このブログを読んでくださっている人はとても少ないので、大丈夫なはず。

〇〇へ向かいながら3人で話した。2人はお話が上手だった。よくそんな返しをできるなと感動した。わたしは返す言葉が見つからなくて、「そうなんだ!」などで終わる。なんとか頑張るが、ぜんぜんヒットしない。途中で「これ前の高校のときと同じパターン」と気づき、まぁどうせ気があう人は気があう人同士でくっつくんだから、いま頑張らなくてもいい。と自分を励ました。だが、それでも自分は頑張った。

〇〇に到着し、散策をした。お店を見たり、食べ歩きをしたりした。お店の中に入り、3人でチーズドックを食べた。これがあのチーズドックなんですね。感動。チーズドックのチーズは思いのほか伸びなかった。あまり美味しくなかった。LINEとツイッターを教えあった。この先をすこし不安に思う自分がいる。喫茶店に一緒に行く友だちは欲しいが、やっぱり、ホップステップジャンプ的な、段階を踏まないと。けれど、2人と出会えてよかった。深くは知らないが、2人は素敵だ。2人でなく、友だちと書けるようになる日は来るだろうか。来なくてもいい。常に緊張と不安と隣り合わせだったが、楽しかった。

家に帰りツイッターを開く。フォロワーが2人増えている。あれは夢ではなかった。呟きたいことがあっても呟けない。いや、そんなことを気にする必要はない。なんでそんなビビってるんだ。なんも悪いことしてない堂々としろ。自分の過去のツイートを確認するな!!見られてもいいだろ!!

2人は明るくて可愛くてかっこいい。なにより惹きつけるものがある。こういうところが好かれているんだ。凄いな。わたしには惹きつけるものは無いと思う。わたしはどんよりしているし、話し方も話す言葉もふにゃふにゃしている。話す言葉がふにゃふにゃすることは、本当に良くない。意思も確信も想いもこもっていない言葉を発するからそうなるんだ。黙っていたいが、黙るのも怖い。2人にビクビクしてしまっている。失礼だろ!!!どうしたら、緊張しなくて済むのだろう。住む世界が違うと思った。2人以外の人に対しても、住む世界が違うとよく思うことがある。住む世界は違うのかな。その人たちにも苦しいことやつらいことはある。楽しいことだってある。もしかすると同じことで悩んでいるかもしれない。それが分かりづらいことや、知ることのできないことが悲しくなることがある。住む世界が違うと思ってしまうのは何故だろう。同じようなところに住んでいるなと思う人もいる。なんだか自分が嫌になった。こうやって線引きをしてしまうのが、嫌だ。

これからだ。これから高校生活がはじまる。いろいろな人との出会いや発見があるだろう。勉強もできる。気が合わなくてもいい。苦手だと思ってもいい。だが除外はすんなよ!!シャットアウトするな。一緒に生きろよ。その人のこと考えてみよう。想像しろよ。勉強も苦手だからとか言うのやめろよ。勉強は遠ざけるな。わたしはこれからのわたしをつくっていく。明日に向かって、はやく寝ろっての!!

みなさん、ここまで読んでくださって本当に本当にありがとうございます。おやすみなさい。

きょうの町

葉っぱや枝が散らばる自転車置き場。赤色のカラーコーンが寝転がって休憩をしていた。蜘蛛の巣が小さく張った自転車。サドルにぺたんとついた葉っぱ。道路脇に松ぼっくり、タオル、ガラス、葉っぱ、枝。ドミノのように傾くガードレール。屋根を修理する人。バザーのように並んだ壊れたものたち。赤にも緑にもならない信号機。不揃いに梳かれた草木。下を向いた看板。 羊の群れみたいな雲。それを立ち止まって眺める人。

バイト初日 感想

バイトをする店舗の前で担当者を待っていたら、数少ない地元の友だちが歩いていたので声を掛けようと近づいた。なんだか虚ろな目でゆらゆら歩いていた。2、3回大きめに声を掛けたが、気づかなかった。肩をトントンしてやっと気づいてもらえた。友だちはさっきまで五時間勤務だったらしい。すごいな…。バイト初日のわたしの様子を見に来てくれたらしい。やさしい。すぐに担当者がきて、友だちとはバイバイした。ちゃんと休んでね。

あの友だちの身体的精神的しんどさを、バイトをする前のわたしは想像もできなかった。バイトを終えたあと、友だちのすごさを痛感する。いまなら真の「お疲れさま」を友だちに言える気がする。

働くって大変すぎない?ビックリしたよわたし。ちょっと。ちょっと待ちなさいよ、こんなに大変なの?

真っ暗な帰り道を自転車で漕いでいるとき、こう思った。

「働き…たく…ない…」

家が、あったかい我が家だ。あったかい我が家が待っている。帰りた〜い帰りた〜い。一刻もはやく帰ってベットにダイブした〜い。

バイトを甘くみていた。働くのはこんなに大変なのかと驚いた。一日目にして辞めたいと思った自分に一番驚いたけれども。お金をいただいていること、教えてくださっている方々に感謝して働くんだよ。レジ打ちはそのうち慣れるよ。挨拶と礼儀をしっかりね。がんばれわたし〜!!

「高校生がダメなところもあるけど、うちが高校生を採用する理由は、高校生は元気があるから」と担当の方はおっしゃっていた。いやいや高校生はみんな元気じゃありませんよ、と思いつつも、元気なふりをして研修を受けた。楽しみなことしか記してこなかったスケジュール帳が、バイトで黒く埋まってゆく。

なんだか悲しいけれど、すこしでも経済的自立をしたいんだ。社会経験を経て、精神的自立、生活的自立に繋げていければ…

あぁ…はやく一人前になりたい。働くことの楽しさを感じることができればいいな。というかまだ初日よ!!!!これからでしょ!!!!

バイト初日は無事終了した。無事かどうかは分からないが、やりきった。「お疲れさまでした」を従業員全員に言わなかったの、やらかしたかも。明日の17:00からバイトだ。挨拶ちゃんとしよう。昨日のおさらいと、レジ打ちの練習をしとこう。右手でスキャンして、左手で受け取ってカゴに入れる。暗黙のルールが一番怖いんだよな。まぁいい。大事なのはお金の精算をきっちりすること。そして初任給のことを考えるんだ。美味しいケーキを食べるんだ。

 

お化け屋敷に行きたい

朝番組のシューイチで、ふかわりょうさんとDJKOOさんがお化け屋敷のロケをしていたのを見て、とても行きたくなった。「怨霊座敷」というお化け屋敷で、家に亡き妻の怨霊がいる設定のようだ。参加者がインターホンを押して「ただいま」と言わなければならない時に、DJKOOさんがインターホンを押し、「YEAH!YOROSHIKU!TADAIMA!」と大声で放ったことに、いまだかつてない衝撃を受けた。DJKOOさんのようになりたい、と思った。人生そんな思い詰めなくてもいいんだな。

お化け屋敷に行きたい。好きな人と行きたい。好きな人にDJKOOさんのようなボケをかまして笑ってもらいたいし、もうただ怖がって「可愛いなコイツ」と思われたい。

中学校のとき友だちが、小学校の林間学校で肝試しがあって、好きな人に抱きついてしまったことを照れながら話していたことを思い出した。その好きな人に告白されて付き合ったらしい。抱きつかれた方はまんざらでもなかっただろうな。好きな人と一緒に肝試しを回るというミラクルというか必然というかもう青春。羨ましい。

だからわたしは好きな人とお化け屋敷に行きたい。できれば2人ではなくて、仲のいいグループで!!!!!あいつらいい感じじゃんってなって2人きりで観覧車に強制で乗せられたいし、ツーショットを冷やかしながら撮られたいし、みんなに巻かれて2人きりにされたい。いや、贅沢は言わない。もういい感じの2人を冷やかすほうでもいいからしたい!!!!

…叶いそうにない。真っ暗な部屋の中スマホのライトに顔を照らされながら独りこれを書いている。お化け屋敷以前に、部屋の中からブンブンブンブン羽音が聞こえて恐怖している。ブンブンというオノマトペを使ったことに注目していただきたい。ヤツはでかい。

回想と整理

不登校のことを考える。自分のためだけに考えて、自分のためだけに書く。

一年生のころからポツポツと休んでいた。毎日行くことができなくなった。中学校は未知の世界で、とても不安だった。友だちができるかどうか、どんな人がいるのか、学校のルール、自転車のヘルメット、新しい制服、体操服、運動靴、教室がどこにあるか、休み時間はいつからいつまで、テスト、部活動。

はじめてスマホを持った。LINEを使う。もうLINEグループができていて、招待された。学年全体のグループ、クラスのグループ。最初、アニメアイコンだった。時間が経って、皆んながしているようなアイコンにすると、友だち追加が来るようになった。

学校にはいろんな人がいた。心無い発言をする人が多く怖かった。そういう人とどう関わればいいのか分からなかった。とにかくスクールカーストが気になった。クラスのLINEグループでは、いじめが起こった。教室でもLINEでも事件が起こる。自分に関係のある事件も起こる。

部活も上手くいっていなかった。先輩が怖過ぎた。楽しいこともあったけれど、まいにち緊張していた。この時のわたしは、クラスと部活しかなかったから、とても狭いところで生きていたんだ。そこしかないから、その中で上手くやろうと必死だった。本当にそこが世界だったから。世界を受け入れて、疑うことをせずに順応しようとしていた。なぜ疑えなかったのだろう、違和感を抱かなかったのだろう。いじめが起こることや、部活がいつもギスギスして陰口がそこかしこで行われていることを、おかしいと感じなかったのだろう。毎日、心無い発言を耳にし、最低な行動を見ると、それが当たり前だと思ってしまったのだろうか。ここで生きていくしかないから、生きないといけないから、シャットアウトして考えずにいたのだろうか。

わたしは今、このことを考えていて悲しい。すこし腹がたつ。やるせなくなる。

中学2年生。スクールカーストの上位にいる人たちに、なぜ先生は優しいのかと怒った記憶がある。でもわたしは、上位にいる人たちのことが好きだった。良いところがあって、お喋りが上手くて面白くて明るくしてくれて、優しいところがあった。だから好きだった。人を傷つけるところとかもひっくるめて好きとしていた。それをやめたら楽だったかもしれない。人を傷つけるところは、きらってよかったと思うんだ。そこは憎んでよかったと思う。ちゃんと嫌いで憎んでよかったと思う、そのほうが良いと思う。

後半から、別室登校をすることになった。それまでに母とのぶつかりが何度もあった。不登校に対して自分も恐れていたし、親も恐れていた。だから別室登校。教室への復帰を目標とした別室登校。

別室には、一つ上の女の人と、同い年の女の子と男の子がいた。みんな素敵な人だった。教室に先生がやってくる。授業をしてくれる先生もいれば、ただ本を読む先生もいたし、謎解きを一緒にした先生もいた。

わたしは教室に戻りたかった。このまま別室登校では駄目だと思った。なぜ駄目だと思ったんだろう。親が不安がっていたからだろうか、自分は何にも頑張っていないと思ったからだったかな。弾き出されたような気がして、普通になりたかったんだろう。

わたしは同い年の女の子がとても好きだった。勉強を頑張ったり、教室に入ろうと頑張ったり。ちょっとズレてて、話もズレるけど、大好きだった。わたしが教室に戻ったとき、となりの教室はその子のクラスで、その子と休み時間に廊下で話したりした。その子が廊下で男子とぶつかった時、男子が「菌がついた」と言って、他の男子に擦りつけたのを忘れない。その子は気づいているのか気づいていないのか分からなかった。表情は変わらなかった。どうか気づいていないで欲しかった。

別室登校をする教室は、ピアノ室だった。音楽室の隣で、埃っぽくて、窓際に調律されていないピアノが置いてあった。その子はそのピアノをよく弾いた。「上手くないから」と言いながら弾いていた。上手くなかったけど、音も記憶にないけど、楽しそうに弾いていたのは覚えている。その音で、この教室を覗いてくる奴らも、ドアや窓をバンバン叩くやつらも覚えている。わたしたちは怖がった。音楽室の隣だから、音楽の授業のときは、教室の前の廊下をたくさんの人が歩く。その時もドアを叩かれたり開けられたりした。ドアの鍵を閉めてもらえないか先生にお願いしようと思ったけれど、別室登校させてもらっているんだから、それくらい我慢しないと、と思って言えなかった。

ぜんぶ自分が悪いと思っていた。でもそうじゃない。そうじゃないんだ。

中学三年生。なんとなく教室に入ることができた。あんまり攻撃的な人はいなかった。修学旅行も行くかどうか迷ったけれど、結局行った。楽しかったような、楽しくなかったような、どちらでもないような、修学旅行だった。部活は途中で辞めた。いちばん覚えているのは、文化発表会だ。体育館の二階のいちばん奥から見た。みんな青春していた。面白いのがちょっとムカついた。いちばん最後、三年生の劇が始まる。二階を役者が使うということで、わたしは一階の体育館の奥にある放送室に逃げ込んだ。小さな窓から、息を殺して舞台を見た。ワンピースの劇だった。面白くて、とても悔しくて、泣いてしまった。

高校一年生、学校を諦めきれず、私立の全日制高校へ入学する。一年生も、教室に入れなくて泣くことが2回ほどあったが、なんとかやりきった。体育祭にも文化祭にも校外学習にも参加した。

高校二年生。学校に行けない日が多くなり、辛くなる。懇談で「甘え」「意思がない」「みんな頑張ってる」「普通に学校に行くことが親孝行」などと言われ、ここでようやく疑うことができた。

毎日つかれてしんどくて辛くて泣いて死にたいと思うのは、おかしい。電車や屋上や赤の信号を見ると死にたくなるのはおかしい。それでも学校へ行くのはおかしくないか。

というか、なぜ学校に行けなくなったんだろう。高校で学校に行けなくなったのは、謎のままだ。いま考えていることでは、中学で学校に対して悪いイメージを持ち、そのイメージというか、中学校でつらかったことを、振り切れないでいるから、学校に行けなくなったということだ。それと家庭環境。不登校だからと家族に気をつかい、ご飯を作ってもらうことにも罪悪感を抱いている。そのご飯が食べれなくなって、もっと怒られる。不登校に対して、悪いイメージを持っている。自分が不登校なことを許せない。だから家族にも気をつかう。先生にも友だちにも。不登校は良いことなのだろうか。いや、良いことだとか、そんなんじゃないと思う。不登校は、あってもいい。不登校の人は、いてもいい。良いか悪いかは置いておいて、いていいのだ。けれどわたしは、不登校なことがとてつもなく嫌だし辛いし、不登校でなくなりたいから、定時制高校へ移ろうとしている。「不登校は不幸じゃない」という人がいるけれど、わたしは反発してしまう。不幸だから。過去を振り返る形で不登校をみると、不幸じゃないかもしれない。けれど、いまはつらい。これをどうにかできないだろうか。

不登校の人は、いてもいい。これはハッキリと言えるのだけれど、わたしは不登校ではいたくない。なんだかよく分からなくなってきた。

とにかくわたしは、不登校に対する悪いイメージや罪悪感をどうにかしたい。家族と仲良くしたい。どうにかできないか考えていく。もっともっと考えて考えて、いつか自分のためだけではなくなれば。

とにかくわたしは、あの子に会いたい。